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川西赤十字病院の診療支援に行ってきました。

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こんにちは。後期研修医の西村です。 今回は 9 月 18 日~ 21 日までの 4 日間、川西赤十字病院に診療支援に行ってきた報告です。   川西赤十字病院は、長野県佐久市にある病床数 84 床の小さな日赤病院です。常勤の医師が少なく、当院や長野、熊本の日赤病院から週替わりで応援医師が派遣され、入院患者のフォローや外来診療を行っています。 当科からは上記期間に僕と、10月には 町田先生、藤井先生が応援でいってきました(ちなみに昨年、一昨年は内海ご夫妻が行っています。イギリスだけでなく、川西にも行っていたんですね)。     普段はここ前橋日赤で急性期医療を行い、高度な医療を提供していますが、川西日赤はいわゆる慢性期の病院で、一般的な内科疾患の治療を行ったり、リハビリを行いながら自宅退院を目指している病院で、地元に非常に密着した病院でした。 また外来でも、高血圧や糖尿病、脂質異常症といった、いわゆる生活習慣病を見ることが多く、ほとんどの患者さんに、「運動しましょう」「間食減らしましょう」と生活指導をしていました(ただ、こういった指導をするたびに患者さんから「お前の腹にたまった肉はどうなんだ?」とつっこまれるのではないかと、ひやひやしていました。自分も運動しないとですね)。   入院患者・外来患者とも地元の方、高齢者が多く、山から下りてきて受診する方などもいて、地域密着の病院と感じました。     そんなこんなで、普段とは違った時間の流れの中で、一般的な内科管理や外来診療を行い、いい刺激・経験となりました。 僕のときには幸い(?)にも救急車や患者の急変といったこともなく、比較的穏やかで、久しぶりの紙カルテだけ大変でしたが、患者や家族とも話す時間があり、たまにはこういった田舎の慢性期の病院で仕事をするのもいいなと感じました。   プラス、川西日赤での特典として、近くにワンコインで入れる温泉がたくさんあり、僕は毎日夜に温泉に入っていました。そういった楽しみもある病院でした。     また機会があればぜひ伺いたいと思いました。以上、報告でした。

川西赤十字病院の診療支援に行ってきました!

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皆さんお疲れさまです。内海です。 この度、長野県は佐久市にある川西赤十字病院へ9月4日から8日の一週間お手伝いに行ってきました。 川西日赤は本当に田舎にあり(笑)、浅間山が間近に見える山の中にあり、非常にいいところでした。病床は全部で 83 床と少なく、主には他院からの患者さんが自宅や施設に帰るまでの療養病棟で、その中に急性期病床がいくつかあるという感じの病院でした。 主な仕事は病棟の患者さんの主治医をしながら、内科外来、健康診断、救急車の対応をすると非常にタイトなものでした。普段は本当に平和な(笑)そうですが、私が行ったときには、持病が悪化して呼吸・循環にトラブルを抱えた患者さんがきたり、脳血管疾患疑いの方を3次医療機関へ転院させたりと非常に忙しかったです。 ホームの前橋日赤とは違い、検査や治療が制限される反面、いつも以上に患者さんから身体初見をとったり、病歴を念入りに何度も見直したりと、物がない中で必死にやれることを目の前な患者のために考え、本当にお手伝いに来たのですが、いろいろ学ばせていただいたいい機会でした。 また COPD や高血圧症、糖尿病など慢性疾患の管理をさせていただいたことも、自分の知識のブラッシュアップにもなり非常に良かったです。 この経験を活かして、今後もホームの前橋赤十字で頑張らせていただきます。 <おまけ> 実は2016年1月に妻の江里加先生が支援に入っています。 その時の様子は → http://drheli-gunma.blogspot.jp/2016/03/blog-post_18.html

北毛地域の医療の要・・・~渋川医療センター支援~

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こんにちは、藤塚です。 今回は北毛地域の医療の中核を担う「渋川医療センター」について、我々も少し救急医療のお手伝いをしているためご紹介します。 まず、北毛とは… 群馬県は地域区分として、大きく4つの地域に分けることがあります。 その4区分の一つ、北部(沼田市・渋川市・北群馬郡・吾妻郡・利根郡 *時に渋川は中毛に含まれる場合があるそうです)をまとめて『北毛』と呼ぶことがあります。 その中核を担うのが、渋川医療センターです。 もともとは、国立病院機構西群馬病院と渋川総合病院が再編統合し、平成 28 年に開院されました。現在、診療科も 26 科となり、渋川医療の中心かつ北部から中部地区まで足を運ばざえるえなかった患者さんのための病院としても活躍されております。     我々も少しでも北毛医療の力になれるよう、救急外来のお手伝いをさせて頂いております。 重症患者を中心に扱う当院と違い、地域のために活躍されている病院だなと感じております。病院ヘリポートも整備されており、ドクターヘリとの協同もスムーズに行われております。今後も少しでも皆さんの力になれるよう、努力していきます。     All Gunma で、消防・医療(病院間)ともに協力していきたいですね。 *当科がスタッフ支援を行っている過去の報告はこちら・・・ ・原町赤十字病院  http://drheli-gunma.blogspot.jp/2017/04/blog-post_22.html ・高崎ドクターカー  http://drheli-gunma.blogspot.jp/2017/04/blog-post_28.html

もう一つのドクターカー・・・~高崎ドクターカー支援~

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藤塚です。 群馬県における病院前診療システムには、現在は「群馬ドクターヘリ」とその補完的に活動している「群馬県防災ヘリドクターヘリ的運用」「前橋ドクターカー」があり、それに加えて「 高崎ドクターカー」があります。 今回は、私たちも月に数回だけですが協力させて頂いている高崎ドクターカーについての話です。 高崎ドクターカーは、平成 25 年 9 月 9 日から運航開始となり、県内で最初に正式なドクターカー事業を開始しています。高崎総合医療センターに基地があり、基地発進方式で出動します(前橋ドクターカーは、消防救急車からの医師ピックアップ方式)。 管轄エリアは、高崎市・安中市です。 たかさき消防共同指令センターからの要請から、すぐに病院から医療スタッフを乗せた車両が現場へ出動します。そのため、場所によっては救急隊よりも早く現場に着く場合もあり、より多くの判断が求められます。 そのほか、車内には様々な緊急対応可能な装備品が揃っており、12誘導心電図(病院へ伝送可能)や血液ガス分析装置など現場での診断・治療含めた診療が可能となっております。 また、現場救急隊との携帯電話によるリアルタイムの情報共有など、ドクターヘリ対応と違ったやりとりもあり、勉強になることが多々あります。 病院前診療からの早期医療介入を実現するための選択肢が増えてきており、それらをいかに活用し、また共同して活動できるか、消防・医療、病院間ともに協力していきたいと思います。

もう一つの赤十字病院・・・~原町赤十字病院支援~

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町田です。 今年度もあっという間に1か月を過ぎようとしています。新スタッフもだいぶ仕事に慣れてきて、ERでもICUでもすでに大きな戦力として活動しています。 日本赤十字社群馬県支部のもとには2つの赤十字病院が存在しています。 1つは前橋赤十字病院で、もう一つは東吾妻町にある「原町赤十字病院」です。 原町赤十字病院は、吾妻地域唯一の災害拠点病院で地域密着型の医療を展開しているとともに、当院初期研修医の地域医療研修先としてお世話になっていたり、災害時は日赤救護班として当院と協働することも多くあります。 昨年度から当科も週1回ですが当院の救急外来の支援のためにお邪魔させて頂いていますが、いつもよりもさらに患者さんやその家族との距離がぐぐっと近い前橋赤十字病院ではなかなか味わえない経験をできる貴重な機会となっています。 また前橋赤十字病院で一緒に働いていた看護部長や事務の方々との懐かしい再会もあります。 これからも両病院間でさらに連携を強くして、日本赤十字社群馬県支部の活動をさらに盛り上げていきたいと考えています。

違った環境から良い刺激を頂く!~川西赤十字病院支援~

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伊藤です。 去る 2/ 6~ 2/ 10 の 5 日間、長野県佐久市の川西赤十字病院に行ってきました。生まれも育ちも長野県の私ですが、今まで縁遠かった土地です。 川西日赤は、佐久平駅 ( いちおう新幹線も停まります ) から、田んぼと山を越え車で 30 分ほどの、一般・療養あわせて 100 床ほどのこじんまりした病院です。わずか 2 人の常勤医と、非常勤医、そして我々のように全国の赤十字病院から支援に訪れる医師の、合わせて 5 人ほどで入院・外来診療を行っています。 普段働いている前橋日赤とは、患者さんの数も、疾患・入院患者層も、可能な検査・処置も全く違います。日々の救急外来対応で磨り減った (?) 精神には、違った環境は良い刺激でした。 まず山!   雪をかぶった浅間山が、佐久市街に借りていたアパートの正面に見えるのが朝から気分があがります。 川西日赤では主に入院患者さんの診療が我々の業務です。感染症やら腰痛やら、はたまた施設入所待ちやレスパイト入院の患者さんまで様々です。今回改めて感じたことは、各診療科が揃っていて、検査が ( 自分でまたは技師さんで ) すぐに出来ることのありがたさです。診療のスピードとでも言うのでしょうか … 普段は律速段階をあまり感じず勤務しているわけですが、川西日赤は先ほど述べたようにまず医者が少ない。専門医に見てもらおうとなると転院や他院の外来へ行かないといけない … 転院にするのか?通院でいいのか ? そんな調整に半日かかっちゃうわけです。 恵まれた環境にいるのに、救急を専攻して依頼 (…) だんだん短気になっている自分をも省みるよい機会でした。 そして、我々普段はいろいろな病院へ転院をお願いする側なのですが、受ける側、これを体験できたのはよい経験でした。 先ほど述べたように、限られた人材と資材機材の中、紹介状から患者の状態を把握し、受け入れられるかどうか決めなければいけません。紹介状に落ち着いていると書かれていても、 CRP11 でまだピークアウトしてないとね !? 、落ち着いているかわからんのです。この辺りが実際診療している医者と、紹介状しか情報がない医者との認識の差になる訳ですが、軽く引き受けて急変しても対応できるかわからないので、シビアに検討が必要です。 こういうやりとりを経て転院...

【熊本地震活動報告⑤】熊本赤十字病院医療スタッフ支援

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救急科の白戸です。 4/14 に熊本を最大震度 7 の地震が襲いました。被害にあわれた方々、亡くなられた方々、心からお悔やみ申し上げます。 5/7~5/12 に熊本赤十字病院 ER 支援に行ってまいりました。当科からは第一班の小倉先生に続いて、第五班としての活動です。 熊本赤十字病院には、今回の震災から非常にたくさんの患者さんが搬送されていたようですが、だんだんと通常通りの人数に近づきつつあるとのことでした。ですが、熊本赤十字病院の職員のみなさんも被災者であり、疲労がたまっています。そこで今回我々、熊本赤十字病院 ER 支援第五班のミッションは「通常勤務を支援スタッフで補い、熊本赤十字病院職員のみなさんにできるだけ休息をとってもらう!」ことです。 今回の第五班ですが、当院からは救急科の白戸が参加していますが、全国の赤十字病院から支援がされています。医師、看護師、事務の三職種です。医師に関してですが、救急科だけでなく、外科、内科からも多数医師が参加しており、全国の赤十字病院の熊本支援への強い意識を感じさせます。 我々の仕事内容としてはERの通常業務です。救急車、 walk in 問わず救急外来を受診された患者さんの診療にあたりました。救急車 20-30 台ほど、 walk in 100-200 人ほどが一日の受診数でした。 普段と勝手が違い、力になれていないのではと感じるところもありました。しかしできるところからという事で、ベッドの移動、モニターの装着など普段は医師があまりしない仕事も積極的に行うようにしました。最後の勤務が終わったときに、熊本赤十字病院の職員のみなさんから「たくさん休めました、ありがとうございました」との言葉を頂き、大変うれしく思いました。 だんだんと災害モードから通常モードに切り替わりつつあり、 ER 支援の医師派遣は今回の第五班で終了となります。しかし、まだまだ自宅にもどれない被災者の方は多数おり、震災との戦いは続きます。一日でも早く本当の意味で日常に戻れること、復興を成し遂げることを願っています。

【熊本地震活動報告①】熊本赤十字病院医療スタッフ支援

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お久しぶりです。小倉です。 この度は熊本地震にて被災された方々、及びその関係者の方々におかれましては、大変な御苦労をされていると想像します。お亡くなりになった方も多数おります。心からお悔やみ申し上げるとともに、いまだ連絡が取れない方々の一人でも多くの無事を願っております。 小倉は熊本赤十字病院からの要請を受け、病院支援を目的とし、4月20日から26日までの日程で、熊本赤十字病院の救命救急センターのヘルプに行ってまいりました。今回は、医師 16 名、看護師 25 名、心のケア要員 3 名、事務 3 名の合計 47 名で熊本赤十字病院の病院業務の支援を行いました。 小倉はこの活動で隊長を仰せつかり、救急科専門医として、集中治療専門医として、熊本の被災者のために、懸命にお仕事をさせていただきました。 活動内容は、皆様の想像にお任せしますが、データとしては下記となりました。 ・ 4 月 20 日 救急車 52 件 独歩受診 276 名 計 326 名 うち入院 52 名 ・ 4 月 21 日 救急車 41 件 独歩受診 161 名 計 202 名 うち入院 57 名 ・ 4 月 22 日 救急車 30 件 独歩受診 168 名 計 198 名 うち入院 32 名 ・ 4 月 23 日 救急車 46 件 独歩受診 213 名 計 259 名 うち入院 31 名 ・ 4 月 24 日 救急車 30 件 独歩受診 224 名 計 254 名 うち入院 41 名 ・ 4 月 25 日 データ未着 でした。 これだけの方が被災地で医療を必要としていました。 しかし、これだけの医療を提供する熊本日赤の職員も、被災地の皆様と一つも違わない同じ被災者であり、本来であれば彼らも出勤などしている場合ではないのかもしれませんが、それでも彼らは地域のために献身していました。そんな彼らの懸命な姿に、小倉は心打たれました。小倉はその姿に感銘を受け続けたまま、一週間を過ごしました。受診された方にどれだけのことができたか?小倉にはわかりませんが、最善を尽くすために努力させていただきました。 以下、病院支援第一班 帰還のご挨拶より 「大変な地震に遭遇し、甚大なる被害を被った熊本ではありますが、単なる復興に止まることなく発展し、地域の皆様の支えとなっ...