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令和元年台風15号千葉県災害の活動報告③ 『日赤災害医療コーディネートチーム』

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山田です。 前回はDMATとしての活動を報告しましたが、今回はそれに引き続いて日赤災害 医療コーディネートチームとしての活動を報告します。 12 日の夕方からは、日赤災害医療コーディネートチームとして、安房・君津地域に入り、 13 日から活動開始となる、 6 隊日赤救護班の調整業務を行いました。拠点となっている安房地域医療センター、君津中央病院に直接伺い、被害状況を確認させていただくことから活動開始となりましたが、現在もテレビで取り上げられている安房地域(館山、南房総、鋸南)の被害は甚大で、安房地域医療センターに近づくにつれ、道中では看板の損壊があちこちで見られ、想像していた以上の状況に、言葉を失いました。電話も繋がらず、避難できていない高齢者の方が大勢いらっしゃるかもしれないという状態で、一刻も早く詳細な被災状況を確認することが必要と感じました。    今回、私自身は、初めての実災害への派遣、本部活動となりました。非常に長く、濃い 72 時間で、多くのことを学びました。特に、多くの人と多くの情報をまとめることの難しさや、引き継ぎを意識した活動、そして日赤災害医療コーディネーター、救護班としての役割等、本当に学ぶことばかりでした。 また、私は当院へ赴任する前、学生時代を含め 11 年間を、千葉県で過ごしました。異なる医療圏の病院に所属していたものの、今回、行く先々で、当時お世話になった先生方が活動されており、非常に心強く、力をもらいました。 医師として踏み出し、育ててもらった千葉県のために今回活動させていただくことができ、心から感謝しています。 最後に、 72 時間を共にしたメンバーの皆様、今回の活動に関して様々なサポートをして頂いた活動拠点本部の皆様、日赤千葉県支部の皆様、日赤救護班の皆様、当院のスタッフ、そしてすべての関わった皆様へ、心から御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

「平成30年胆振東部地震災害救護活動報告検討会@日赤北海道支部」に参加して…

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町田です。 一昨日晩に最大震度6弱の地震が北海道胆振地方を中心に起こりました。ちょうど病院にいたので5か月前のことを思い出しながら情報収集チームを立ち上げて活動を開始しました。幸い大きな被害がなくほっとしたところですが、やはり地元で起こったことなのでとても心が痛みました。けがをされた方々の1日も早い回復をお祈りします。 ところで昨年9月に発生した「平成30年北海道胆振東部地震」では、日赤災害医療コーディネーターとして5日間にわたって日本赤十字社北海道支部と北海道庁で活動させていただき、そのこともあって本震災の活動を振り返る会にいろいろ参加させていただいています。 昨年12月には札幌で開催されたDMAT技能維持研修に、今年1月には日赤本社、2月には日赤北海道支部で開催された日赤の活動の検証会に顔を出させていただきました。 特に2月13,14日に日赤北海道支部で開催された「平成30年胆振東部地震災害救護活動報告検討会」では、北海道・東北および本社の日赤関係者が【現地災害救護実施対策本部機能について】【医療救護活動について】【被災者支援(支援者支援)について】という3つのテーマに関して、それぞれの部会に分かれて2日間かけてグループワークを行い、今後の展望について発表を行っていました。 いままで災害対応に関する振り返りに関しては、災害救護活動に参加したメンバーが発表を行っうだけで終わる印象しかありませんでしたが、今回は次にどうするか徹底的に話し合っている参加者の北海道・東北地区の日赤支部・各日赤救護班の皆様の姿をみて、ただ助けてもらうだけではなく災害救護も自助共助が大切であることを改めて感じました。 いろいろな振り返りの会に参加させていただきとても勉強させていただくことばかりでしたが、ロジスティック強化、システムの確立という話が全面に出すぎていて、熱い思いをもって現地に駆け付けてきた各救護班の立場を考える必要性を改めて感じました。 特に日赤救護班の多くのメンバーは平時は地域医療を支えていて、必ずしも救命救急センターに勤務していたりしているわけではありません。それでも平時の活動が災害時にも被災者への心が通った対応ができる素晴らしい土壌があると感じています。 僕自身は日赤、DMAT、日本災害学会など様々な立場で現地にこーディネーターとして派...

平成30年北海道胆振東部地震の活動報告① 『日赤災害医療コーディネートチーム』

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9月に入り“台風21号”そして“北海道胆振東部地震”に伴う大きな災害が続いて起こりました。日本列島に大きな爪痕を残すだけではなく、かけがえのない命が多く失われてしまいました。 亡くなられた方のご冥福を心からお祈りするとともに、被害にあわれた方々のお見舞いをお申し上げます。 台風21号に関しても当院では情報収集を行いながらいつでも支援できるように心構えをしていました。実際には直接お手伝いができないまま「平成30年北海道胆振東部地震」が発生し、最初の最大震度6弱の情報(のちに7と更新)からすぐに院内災害対策本部を立ち上げて本地震に対する活動を開始しました。 僕は地元が北海道ですが、まさかこれほど大きい地震が起こるとは思っていなかったのと同時に約25年前の北海道南西沖地震の際の大きな被害を思い出し、すぐに病院に駆けつけました。 実家にはなかなか連絡が取れず、そしてまさかの北海道全停電・・・何をしてよいかわかりませんでしたが、当院から急な救護班派遣の可能性が低かったことやちょうど北海道に出張予定(その予定は中止)であったこともあり、センター長の許可のもと翌日に地元札幌に帰省させていただき、実家の両親が無事であることを確認できました。ご心配頂いた皆様、心より感謝いたします。 そして日本赤十字社の指示のもと9月8日からそのまま札幌に残り、「日赤災害医療コーディネートチーム」として日本赤十字社北海道支部で活動させていただくこととなりました。チームということで同日当院から高寺看護師、田村主事が駆けつけてくれて、さらに同じくこの日から参加する清水赤十字病院院長 藤城先生とともに、発災当日より日赤北海道支部で日赤災害医療コーディネーターとして活動していた旭川赤十字病院救命センター長 小林先生より任務を引き継ぎました。     日本赤十字社北海道支部に入る災害医療コーディネーターの任務は、日赤の現地での活動状況を把握し、また北海道庁での会議に参加し他の医療救護組織や保健医療に関わる機関と情報共有し、それらをもとに日赤本社に今後の赤十字医療救護活動が現地のニーズに合わせて行えるように情報提供そして日赤の資材(救護班、物資)の提供を依頼することにあります。 被災都道府県の赤十字支部はとても重要な役割を担っているため、支部職員の負担はとてつも...

「平成30年北海道胆振東部地震」における当院の対応。vol.2

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この度の平成30年台風21号、および平成30年北海道胆振東部地震により、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げますとともに、被災地の一日も早い復旧をお祈り申し上げます。 昨日、日本赤十字社群馬県支部 医療救護班第1班(医師2名、看護師3名、主事4名(薬剤師1名、事務3名))が前橋赤十字病院より北海道勇払郡厚真町へ出発しました。9月10日から現地で活動を開始します。 休日にも関わらず、多くの職員に見送られ、中村センター長の激励を受けての出発となりました。 尚、すでに9月8日より日赤災害医療コーディネートチーム(医師1名、看護師1名、主事1名)が日本赤十字社北海道支部で活動を行っています。

平成30年7月豪雨災害対応の活動報告② 『日赤災害医療コーディネートチーム』

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中村です. 『平成 30 年 7 月豪雨』災害で,広島県では,発災早期から広島赤十字・原爆病院や庄原赤十字病院,三原赤十字のチームが広島県保健医療調整本部や坂町に入り活動を開始,その後,第 3 , 5 , 6 ブロック(日本赤十字社は 6 つのブロックに分かれており,広島県は第 5 ブロックに所属,第 3 ブロックは中部,第 6 ブロックは九州)の救護班が支援に入り,避難所の巡回診療や避難所救護所の運営を行い避難者の救護を行いました. 7 月 11 日から,高知赤十字病院が広島県庁に, 7 月 13 日には,名古屋第 1 赤十字病院が呉市保健所に日赤災害医療コーディネートチーム( Co-T) として派遣されました.   我々のチームは, 7 月 27 日から 7 月 31 日に,その呉市保健所で日赤災害医療 Co-T として活動しました.発災より約 3 週間経過していましたが,断水の継続,土砂の除去が行われていない地域もあり避難所での生活が余儀なくされる状態が続いていました.救護班は,天応まちづくりセンターと安浦まちづくりセンターの 2 箇所で,毎日救護所を設置し避難者の方や自宅で生活されている方,ボランティアの方の救護活動を行っていました.しかし,徐々に避難所に設置されている救護所を訪れる方々も減少傾向にあり,地元の診療所や医療機関が診療を再開し,それに伴い薬局も再開されてきていました. 我々の前任のさいたま赤十字病 Co-T が呉市医師会と呉市保健所に上記のような現状の説明を行い,段階をふんだ救護から保険医療への移行を行うことにご理解頂いておりました.我々はスムースに救護班から地元医療機関への引継ぎが行えるように,引継ぎ方法や薬の処方,医療機関への受診方法について調整を行いました. 我々の後任である,名古屋第 2 赤十字病院 Co-T からの報告では,無事,引継ぎが行えたとのことでした.   滞在中に最も,我々を悩ませたのが,台風 12 号の動向でした.『逆走台風』と呼ばれ,東から西に進路をとり, 7 月 29 日には被災地である,中国四国地方を通過しました.前日の夕方から避難指示が再度発令され,避難者の数がかなり増加し保健師さんはその対応に奔走せざる得ない状況でした.幸いにし...

「平成29年度群馬県国民保護共同図上訓練(@群馬県庁)」に参加しました。

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小橋です。 2/15 に群馬県庁で行われた「平成 29 年度群馬県国民保護共同図上訓練」に参加してきたので報告いたします。 本訓練は「国民保護法に定める緊急対処事態が発生もしくは発生する危険が切迫していると認められる事態を想定し、『国民の保護に関する群馬県計画』に基づいた緊急対処事態本部などの設置、関係機関からの情報収集及び警報の発令や避難の指示などの国民保護の手順の確認・検証を行い、県をはじめとする各機関の国民保護事案への対処能力の向上を図る」目的で行われました。要は爆弾テロ、化学剤テロが発生したときに県として国、それぞれの市町村とどのように連携をとって活動していくかを訓練で確認しましょう、といった感じです。 この訓練、内閣官房、総務省消防庁、陸上自衛隊第 12 旅団、自衛隊群馬地方協力支部、県警察本部、前橋市消防局、日本赤十字社群馬県支部、群馬 DMAT 、前橋市県庁職員が参加するというかなり大きいスケールの訓練で、プレイヤー(訓練を実際に行う人) 150 人、コントローラー(訓練の進行を調整する人) 50 人くらいが参加しました。 * ちなみに、国民保護法とは何かを知らない方のために… →国民保護法は、正式には「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」といい、武力攻撃事態等において、武力攻撃から国民の生命、身体及び財産を保護し、国民生活等に及ぼす影響を最小にするための、国・地方公共団体等の責務、避難・救援・武力攻撃災害への対処等の措置が規定されています。 (内閣官房ホームページより) 今回は群馬県内の某イベント会場で何らかの薬品?毒物?が散布されて多数の死傷者が発生、その後、現場付近から爆発物が発見され、国民保護における緊急対処事態の認定を受け、周辺地域の住民などの避難措置をとる、といったシナリオで訓練を行いました。 その中で私たち医療班は「群馬県災害医療コーディネーター」 兼 「日本赤十字社群馬県支部」 兼 「群馬 DMAT 」 として県庁健康福祉部、群馬県消防長会と連携しながら医療活動を行いました。 訓練の詳細は割愛しますが、このようなテロ災害において、医療班の役割はとても重要です。化学剤によるテロでは除染を行う必要がありますが、除染可能な病院は限られており、その中でどの病院がどれだけの収容能力があるか...

本白根山噴火対応について(日赤群馬県支部からの報告)

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昨日の朝に本白根山噴火対応についてご報告させていただきましたが、日本赤十字社群馬県支部より日本赤十字社としての活動がアップされました。 ~以下、日本赤十字社群馬県支部Facebookより転載(一部)~   【草津白根山噴火災害の対応について】   1月23日(火)発生した草津白根山噴火により1名の方の尊い命が失われました。心よりご冥福をお祈り申し上げますとともに、けがをされた方々の1日も早い回復をお祈り申し上げます。 さて、当支部では本災害対応において、群馬県庁に設置された群馬県DMAT調整本部に前橋赤十字病院の災害医療コーディネートチーム(医師1名、看護師1名、業務調整員2名 計4名)と支部職員1名を派遣し、現地に参集させるDMATやドクターヘリ、救援物資の調整等を行いました。また、現場近くの西吾妻福祉病院に設置されたDMAT活動拠点本部に前橋赤十字病院DMAT3チーム(医師5名、看護師5名、業務調整員4名 計14名)、原町赤十字病院DMAT1チーム(医師、看護師2名、業務調整員2名 5名)、支部職員2名を派遣し、参集した県内のDMAT(17チーム)の指揮をとるとともに、西吾妻福祉病院の支援やドクターヘリ・救急車での医療搬送、天狗山第5駐車場において下山してきた負傷者のトリアージ等を行いました。   群馬県庁:災害医療コーディネートチーム 西吾妻福祉病院:初動救護班(DMAT)

「平成29年度第2回日赤災害医療コーディネート研修」に参加しました。

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藤塚です。 10 月 14 ・ 15 日と日本赤十字社本社で開催された「平成29年度第2回日赤災害医療コーディネート研修」に参加しました。 ここ数年の多数の大規模災害を経験し、日赤の組織・救護班をまとめ、そして多数の災害時の医療団体・チームと共同し、災害活動をすることが求められています。それにはコーディネーションが必要であり、それを行うコーディネートチームが不可欠です。そのコーディネーターチームを作る研修会です。 『日赤』という巨大組織について、今回ほど考えたことはありませんでした。 日赤のひとつの役割である「災害救護」において、日赤の組織力や資材を生かし、いかに有事に動いて災害から多くの人を救い、復興につなげられるか・・・色々考えさせられました。 災害時のマネージメントの在り方が色々変化してきています。 超急性期の救命だけではなく、復興まで考えた早期からの組織づくり、医療班だけでなく保健所・役所など色々な機関が集まる合同組織での運営が必要あり、国の指針でも発布されています。 マネージメントする立場となり、皆をひっぱれるリーダーとして成長するよう今後も精進していきたいです。

【熊本地震活動報告③】日赤災害医療コーディネートチーム(阿蘇医療圏での活動)

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明日の朝から九州北部地方では強風、大雨の予報が出ています。まだまだ多くの方々が避難生活を送っており、天候による復旧作業の遅れが心配です。またボランティアの方々のケガなどが発生しないことを願っております。 明日から再び当院からは被災地への支援スタッフを派遣予定でまだまだ活動は継続中ですが、今回も熊本地震災害対応における当院の活動報告を行います。     <日本赤十字社群馬県支部第3救護班(災害医療コーディネートチーム )> ・活動期間:2016年4月19日(火)~4月25日(月) ・活動場所:南阿蘇村、西原村 ・活動隊:中村センター長(班長)、滝沢看護師、 太田主事 ・活動報告(中村班長より) 災害医療コーディネーターは,東日本大震災以前から重要な仕事とされていましたが,同大震災以後,さらに重要視され各都道府県や各組織で構成されてきました.日本赤十字社でもコーディネーターの育成を行ってきました.昨年の関東東北豪雨災害の際にも,現地に赴き混乱している被災県支部のサポートや現地対策本部や救護所の設置場所の決定,他組織との連携を行いました. 今回,私は,日赤災害医療コーディネーターとして 4 月 20 日に熊本県支部に設置された,熊本県支部と第 6 ブロック(九州・沖縄地区),本社による合同調整所に入りました.同調整所では,さいたま赤十字病院 田口先生がコーディネーターとして調整を行っておりましたので,日赤医療センターの林先生と私がブランチコーディネーターとしてそれぞれ御船地区(益城町等)と阿蘇地区(西原村や南阿蘇村)の担当となりました.   阿蘇地区は,阿蘇医療センターを活動拠点本部として DMAT が中心となり救護活動を行っておりました.また,日本赤十字社は,西原村のにしむら保育園と南阿蘇村長陽中学校に dERU (仮設診療所)を展開し,被災者の診療や避難所の巡回診療を行っており, JMAT や国境なき医師団等の多数の組織が阿蘇地区で救護活動を行っていたため,情報の集約化が必要となり,阿蘇保健所長 服部先生をリーダーとして,『阿蘇地域災害保健医療復興連絡会議』が設立されました.日本赤十字社はこの会議(体)の一組織として,私はその一員として会議に参画しました. 最も気を付けたことは,被災者...

DMATに続いて災害救護チーム・スタッフを派遣しています。

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町田です。 平成28年熊本地震において、当院では4月14日より災害対策本部を設置し、4月16日の本震後よりDMAT 2チームを派遣しました。 被災地の熊本においてドクターヘリ本部などで活動した第2班は4月18日夕方に当院に帰還し、DMAT事務局(立川)においてドクターヘリ統括本部で活動した第1班は4月19日夜中に帰還しました。 群馬は平時の救急体制が続いており、派遣中において勤務変更、業務増加などにもかかわらず病院をしっかり守っていただいたスタッフの皆様に感謝いたします。 初動救護班はもどって来ましたが、引き続き当院からは被災地に医療チーム・スタッフを派遣しています。 当科小倉医師は4月20日に熊本赤十字病院に入り、同院ER支援として21~24日まで従事する予定です。 また日赤群馬県支部第3救護班(日赤災害医療コーディネートチーム)として中村センター長、滝沢看護師、太田主事が、日本赤十字社熊本県支部を経由して阿蘇医療圏に向かっています。 ☆詳細は病院ホームページをご覧ください。   http://www.maebashi.jrc.or.jp/oshirase/details.php?eid=00080 余震に引き続いて被災地では雨が降っており、2次災害のリスクが高まっています。被災地の皆様の健康維持と被災地で活動中の皆様の安全を祈っております。

『日赤災害医療コーディネート研修』に参加しました。

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町田です。 北海道で10/15,16に開催された日本赤十字社医学会総会に引き続いて(ちなみに16日は群馬勤務でしたが)、10/17,18に日本赤十字社本社で開催された『日赤災害医療コーディネート研修』を受講しました。 9月に茨城県大雨災害対応で「日赤災害医療コーディネートチーム」として派遣させていただきましたが、その活動で得られたことやもう少しうまくできなかったと心に残ったことがたくさんあり、今回の研修でそのことを振り返りながら知識の習得やブラッシュアップを行うことができました。 災害医療は急性期の初期対応ももちろんですが、実は被災地の医療機関に以下に引き継ぐか・・・つまり救護班の撤収時期の調整の重要性を学びました。(ちなみに僕が茨城県に出動した際のミッションの一つにこの「撤収」がありました!) また災害救護における指揮命令系統(縦の連携)の大切さともに、日赤救護班とDMATとの関係、その他いまでは様々な救護班(JMAT,TMAT,DPAT,JRAT・・・)が存在しているからこそ、いかに横の関係をうまく行って最終的に被災地も最も適した支援を行うか考えないといけません。 日本DMAT事務局の小井土先生より「協働する」ことの大切さを学びました。 救護班は急性期だけわ~っと集まり風のように去ってはいけません。でもいつまでも被災地の医療の回復を邪魔するように長々と存在してもいけません。そして各救護班がバラバラに動いて被災地に混乱をきたしてもいけません。 あらためてそのことを学ばせていただいた2日間の研修でした。ご指導いただいた全国の災害医療のスペシャリストの皆様に心より感謝いたします。  長岡、沖縄、名古屋日赤の偉大なる先生方とともに!

茨城県大雨被害(関東・東北豪雨)災害対応の活動報告② 『日赤災害医療コーディネートチーム』

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町田です。 気が付くと9月も最終日を迎えました。つい先日には与那国島を風速80キロを超える強風が襲ったとのニュースがあり、日本は自然災害と常に隣り合わせであることをまざまざと感じています。 先の関東・東北豪雨における当院の災害救護活動について、前回は星野先生より茨城県での『日赤医療救護班活動』について報告がありました。 今回は町田より同じく茨城県内で『日赤災害医療コーディネートチーム』としての活動を報告します。 今回堤防が決壊し氾濫した鬼怒川。 僕自身は9月19-21日は全国赤十字救護班研修に参加予定でしたが、今回同じ日程で茨城県常総市内に設置された日赤災害医療対策本部医療コーディネート本部の本部長に拝命され、9月19日早朝5時過ぎに萩原看護師、唐澤主事とともに病院を出発しました。 当院の場合は災害救護に派遣した際に現場活動よりも本部活動につくことが多く、今回は最初から本部活動ということがわかっていましたが、現地での日赤の活動の統括としての立場としてかなり緊張感をもって向かいました。  実際に水海道総合体育館に設置された本部に行くと、前任の先生よりほぼ1日かけて現状報告と現地の様子を実際に目で見て回りながらご教示いただき、また本部として交渉する際に大切なカウンターパートナーもしっかり決まっている状況でしたので、まだまだコーディネーターとしての経験値が低い僕にとって本当に僕たちのチームがやるべき方針がとてもはっきりすることができました。本当に那須赤十字病院の長谷川先生のご指導に心より感謝いたします。 この時期の活動においてはコーディネートチーム自らが 実施に現地の様子を直接目で見ることが大切です。 災害救護の場合はどうしても急性期での対応ばかりに目が行きがちですが、特に今回のような局地災害の場合は、皮肉にも川を1本わたってしまえば通常の地域が広がっていつこともあり、「いつまで救護所を展開していくか?救護所の撤収をいつにするか?」という活動の収束に向けての調整というこれもまたとても大切な時期での活動となりました。 救護班や救護所がいつまでもいることは被災地の方々にとって安心感を与えることができることは間違いないと思います。しかし地域の医療が回復してきたり、また周囲の医療が行われている状況においては、その地域の医...