阪神・淡路大震災から19年・・・
今日で阪神・淡路大震災から19年を迎えました。
19年前のその時に何をしていたのでしょうか?
関東で医学部1年生だった僕にはまだ実感がわかず、とにかくテレビの映像をじっと見ていただけでした。数日後に淡路島出身の同級生の実家が大変だったという話を聞いて、急に事の重大さに気がついた自分がいました。でもその時はまだ何もすることができず、連日のテレビの報道をただただおっている日々でした。
今は日本DMATや赤十字救護班の研修などを通じて災害時の活動について学び、そして実際に様々な災害救護の活動を行うようになりました。ドクターヘリが全国から駆けつけたり、災害コーディネートという考えが浸透してきたり、年々活動の質も量も充実してきている印象があります。ただ、個人としてどれくらいの力を発揮できるのか、また自分自身が被災した時にきちんと対応ができるのかまだまだ不安があります。
だからこそこの日が来るたびに、あの時何も動けなかった自分への反省とともに、これからより良い活動ができるために何ができるかあらためて考えることにしています。
お亡くなりになられた6,434名の尊い命に心よりご冥福を申し上げます。
そして神戸での復興の力をこれからも東北へつなげていけるように!
19年前のその時に何をしていたのでしょうか?
関東で医学部1年生だった僕にはまだ実感がわかず、とにかくテレビの映像をじっと見ていただけでした。数日後に淡路島出身の同級生の実家が大変だったという話を聞いて、急に事の重大さに気がついた自分がいました。でもその時はまだ何もすることができず、連日のテレビの報道をただただおっている日々でした。
今は日本DMATや赤十字救護班の研修などを通じて災害時の活動について学び、そして実際に様々な災害救護の活動を行うようになりました。ドクターヘリが全国から駆けつけたり、災害コーディネートという考えが浸透してきたり、年々活動の質も量も充実してきている印象があります。ただ、個人としてどれくらいの力を発揮できるのか、また自分自身が被災した時にきちんと対応ができるのかまだまだ不安があります。
だからこそこの日が来るたびに、あの時何も動けなかった自分への反省とともに、これからより良い活動ができるために何ができるかあらためて考えることにしています。
お亡くなりになられた6,434名の尊い命に心よりご冥福を申し上げます。
そして神戸での復興の力をこれからも東北へつなげていけるように!
復興のシンボル、神戸ルミナリエ! (彩企整形外科 本村院長よりご提供いただきました。) |
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