1年前の場所に・・・
町田です。
先週末は急用が入り石巻を訪問することになりました。
ちょうど1年前にDMATで災害救護活動を行った石巻市立病院にも足を運びました。
昨年の3月13~15日の3日間、多くのヘリコプターがこの病院の周囲に離発着を繰り返しました。あの時の病院スタッフの皆さんの患者さんへの献身的な姿勢とヘリスタッフの高いプロ意識に、DMATも必死に頑張った記憶が鮮やかによみがえりました。
でも変わらぬ景色にもちょっと悲しい気持ちにもなりました。(写真左が昨年3/14、右が今年3/24)
石巻市立病院のスタッフの方々との再会もありました。今回はとても残念な形での再会となってしまいましたが、何よりも皆さんが元気にされていることに安心しました。石巻赤十字病院に移られた方や石巻市立病院の仮設診療所にいらっしゃる方もいましたが、ようやく病院の再建の話も固まりつつあるようです。石巻だけではなく、東北沿岸多くの地域でこれから医療の再建の道が大きく進むことを祈っております。
最後に今回の震災で最後まで患者を守りつづけて犠牲となられた多くの医療関係者に心より冥福をお祈りいたします。
先週末は急用が入り石巻を訪問することになりました。
ちょうど1年前にDMATで災害救護活動を行った石巻市立病院にも足を運びました。
昨年の3月13~15日の3日間、多くのヘリコプターがこの病院の周囲に離発着を繰り返しました。あの時の病院スタッフの皆さんの患者さんへの献身的な姿勢とヘリスタッフの高いプロ意識に、DMATも必死に頑張った記憶が鮮やかによみがえりました。
でも変わらぬ景色にもちょっと悲しい気持ちにもなりました。(写真左が昨年3/14、右が今年3/24)
まだまだ多くの課題が残っていることを痛感しました。
今回の震災においては、大地震を経験した神戸から多くのボランティアが駆けつけたり、津波を経験した奥尻島の役場がいろいろ協力したりなど、多くの助け合いがありました。もっと元気なところはいっぱいあります。群馬もとっても元気です。これからも日本はつながっていく必要はあります。
僕の尊敬する医師の一言、“大変なところに元気なところが力をつぎ込めばいい!”その言葉をかみしめてこれからも災害救護活動に取り組んでいこうと思います。石巻市立病院のスタッフの方々との再会もありました。今回はとても残念な形での再会となってしまいましたが、何よりも皆さんが元気にされていることに安心しました。石巻赤十字病院に移られた方や石巻市立病院の仮設診療所にいらっしゃる方もいましたが、ようやく病院の再建の話も固まりつつあるようです。石巻だけではなく、東北沿岸多くの地域でこれから医療の再建の道が大きく進むことを祈っております。
最後に今回の震災で最後まで患者を守りつづけて犠牲となられた多くの医療関係者に心より冥福をお祈りいたします。
地震の日の夕日も残酷なくらいきれいだったんですね。
返信削除町田先生の写真をみて、思いました。
いつもは一人暮らしのアパートにいるのですが、あの日のあの時間はたまたま実家にいて、祖母が一人にならずに済みました。
あの恐怖は忘れません。
少しでも早くもとの生活に戻れる方が増えるといいです。
匿名さん、コメントありがとうございます。
返信削除その時その場所にいらっしゃた方々のお気持ちは、きっと僕たちには想像もつかないものだと思います。先月に金沢で開催された日本集団災害医学会において、沿岸部の病院のスタッフの方々より現場にいた方の声を多く聞かせていただきましたが、思わず言葉を失うことばかりでした。
この1年間、いろいろ大変だったと思います。本当にお疲れ様です。これからもできる限りの支援活動を継続するのが私たちの使命です。これからもよろしくお願いします。
そして皆様の健康を心よりお祈りいたします。
もと石巻市立病院外科部長のU先生は3月に突然亡くなられました。
返信削除もと部下として御冥福をお祈りいたします。
http://blog.goo.ne.jp/tsukutaku8384/e/a5f2965c5c8a713ebf72d7fa30a72e1d
匿名さん、コメントありがとうございます。
返信削除今年の2月の集団災害医学会で、U先生と約1年ぶりに再会し、石巻市立病院で活動した仲間とともに夜に酒を酌み交わしながら語り合い、学会からの帰りにU先生と2人で食事をした際も、『ようやく手術もまたするようになって、外科医の仕事の戻れるかな!』と笑顔で語っていた姿を忘れることはできません。
僕はずっと隣りの駐車場にいてなかなか皆さんと接する機会は少なかったのですが、石巻市立病院のスタッフのみなさんの『医療人としての魂』は僕の日々の活動の大きな支えとなっています。