医療者の魂!
集中治療科・救急科&フライトドクターの町田です。
被災地のなかで今でも活動し続けている医療人の魂を決して忘れず、群馬県の救急医療を守る、被災地の医療支援を送り続ける、といういま私たちにできることを一生懸命やらなくてはならないと感じました。
2010年度もそろそろ終わろうとしています。例年であれば年度末の統計をまとめたり、新しく来る先生を迎えるに当たりいろいろ準備をするところですが、今年はあまり体制が整っておりません。でも新しく来る先生が早く仕事と職場になじんでくれるようみんなで迎える気持ちは高まっています。
麻酔科から伊東先生(真ん中)が半年間当科で研修を行い、今月で修了になります。 ER、ICUで大活躍していただきました。 左から朝日航洋の大出整備士、鶴本機長です。3/12から3/15までずっと 群馬県ドクターヘリで被災地での活動をともにしていただきました。 |
当院は高度救命救急センターということで計画停電から外していただくことになりました。しかし、計画停電中もいつもと変わりなく救急外来も集中治療室も大混雑です。毎日ベッドコントロールと闘いながら、他病院の協力も仰ぎながら可能な限りなんとか重症患者の受け入れを行う日々が続いています。この3か月でICUには約180人の入室があり、ドクターヘリも約120件の出動がありました。昨日は4件の要請が重なり、そのうちなんとか3件に出動しました。
4月の初旬には2010年度の実績を皆さんに公表できるよう、なんとか今日から仕事のすきを見ながらまとめ始めようと思います。
患者さんの無事を祈り見送る、 被災地の看護師さん・・・ |
新聞やニュースでは被災地にだいぶ物資が届いてきたという話題が増えてきましたが、まだまだ十分とは言えないようです。特に医薬品などの医療に関することは全然不足しているようです。そのような中で、自分の診療所や医院が津波に流されてしまったにもかかわらず、避難所を巡回し地元の方々のために診療を続けている医師や看護師のことが新聞で報じられていました。写真をみるとその医師や看護師自身がやつれた顔をしているにもかかわらず、避難している高齢者の方に笑顔で話しかけていました。「患者に呼ばれたら、診ないわけにはいかない・・・」という言葉を胸に、24時間いつでも呼ばれたら対応しているとのことです。
いまだに信じられない光景の中での 活動でしたが、病院スタッフの協力で 夜遅くまで続いた患者搬送において、 一人もけが人が出ませんでした。 |
その新聞記事の中に、“津波で機能不全となった石巻市立病院から転進した医師、看護師とともに学校の保健室で診察する”という部分がありました。石巻市立病院は津波で陸の孤島となり、そこに取り残された約130名の患者さんが取り残されました。その時に残った約140名の医療スタッフがわずかに残された食料と医薬品を患者さんに分け与え、水も電気も使えない中で患者さんのケアを行っていたとのことです。DMATが入り患者さんの搬出が始まったのが発災3日目の3/13で、本格的に患者の搬出が行われたのが3/14でした。私も3/14からDMATとして活動に参加しましたが、本来なら被災者である病院スタッフが本当に一生懸命に患者さん搬出活動の手伝いをしてくれました。病棟から階段を使っての患者さんの搬出、ヘリコプターまでの案内、そして搬出が遅くなる患者さんへの声掛けなど、本当にどのような状況に置かれても常に医療者としての魂が消えることがありませんでした。3/14に患者さんの搬出が終わり、怖いくらい静かで暗い海沿いの病院の中で一晩明かし、翌朝に医療スタッフも全員搬出しました。搬出先も被災地内であるため今後のことが心配のまま群馬に戻ってきましたが、いまでも医療人として被災地内で頑張り続けていることがこの新聞記事からわかりました。
被災地のなかで今でも活動し続けている医療人の魂を決して忘れず、群馬県の救急医療を守る、被災地の医療支援を送り続ける、といういま私たちにできることを一生懸命やらなくてはならないと感じました。
町の早期復興と病院の再開を心より願っています。 |
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