私たちは、忘れない。~東日本大震災から6年~
平成23年3月11日14時46分、日本周辺における観測史上最大の地震である「東日本大震災」が発生してから6年がたちました。
平成28年12月9日の警視庁の発表では、この地震において15,893名の尊い命が失われ、いまだ2,556名の方の行方が分かっていません。震災後もこの震災に関連して亡くなられた方が3000名を超えています。
この震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、1日でも早くすべての方々がご家族のもとに、そして元の生活に戻れる日が来ることを願っています。
最後にDMATとして活動した石巻市立病院跡地に足を運びました。
今年は工事の影響でもう病院前の道路に行くことはできなくなりましたが、震災後数年は手つかずだったこの場所が少しずつ変化している様子を感じることができました。
津波により大きな被害を受けた町を回りましたが、地元の方々は「海の恩恵に感謝して、これからも海とともに生きる」というおっしゃっていました。僕らには到底追いつかない強い覚悟を感じました。
平成28年12月9日の警視庁の発表では、この地震において15,893名の尊い命が失われ、いまだ2,556名の方の行方が分かっていません。震災後もこの震災に関連して亡くなられた方が3000名を超えています。
この震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、1日でも早くすべての方々がご家族のもとに、そして元の生活に戻れる日が来ることを願っています。
町田です。
東日本大震災の災害救護活動では、延べ7日だけですが被災地で活動させていただきました。
うち3日は発災から数日後に石巻市に、残りの4日は半年後に南相馬市で、ともに拠点は福島市でした。
その後は直接なにもできない自分に歯がゆさを覚えながらに、石巻で活動した病院スタッフの方々との約束を果たすために毎年3月に石巻を訪れています。今年は勤務の都合で3月の訪問は難しそうだったので、2月末に1泊2日で石巻、女川、南三陸をぐるっと回りました。
今回は群馬県内の小学校でも何年も「命の授業」を協働して行っている小学校の先生をお誘いして、「子供たちに新たに伝えられることがないか?」を探しながらの旅となりました。
旅の詳細はここでは書きませんが、2日間回って感じたことは「現地に来て実際に見て聞いて感じてみないとやっぱりわからない」ということでした。
まだまだ復興が進んでいないところ、忘れ去られそうになっているところがありさびしい気持ちになる一方で、確実に未来に向けて歩み続けているところもありこちらが元気をもらうことがありました。
旅のスタートはここから・・・ 東日本大震災で一番多くの命が失われた場所です。 |
日和山から見た景色。 海沿いは何も変わっていませんが、山際には新しい道と建物が完成しています。 |
石巻市立雄勝病院の跡地・・・ ここで起きたことは医療者として忘れてはいけません。 |
石巻市立大川小学校の跡地・・・ 今回小学校の先生と最も一緒に来たかった場所です。 |
南三陸町防災庁舎。 周囲のかさ上げがだいぶ進み、昨年より小さく見えました。 |
最後にDMATとして活動した石巻市立病院跡地に足を運びました。
今年は工事の影響でもう病院前の道路に行くことはできなくなりましたが、震災後数年は手つかずだったこの場所が少しずつ変化している様子を感じることができました。
石巻市立病院は震災から5年半たって、ようやく昨年9月に石巻駅前に新病院が開院しました。
スタッフ不足などまだまだ大変なことが多いようですが、本当に応援しています。
新病院が開院するまで仮設診療所があった石巻市総合運動公園には、まだまだたくさんの仮設住宅が残っていました。
津波により大きな被害を受けた町を回りましたが、地元の方々は「海の恩恵に感謝して、これからも海とともに生きる」というおっしゃっていました。僕らには到底追いつかない強い覚悟を感じました。
「私たちは、忘れない。」
僕が群馬で知り合った方で震災時に福島第一原発の近くにいらっしゃった方がいます。僕自身も震災後に福島市に学会でお邪魔した以外は福島に足を運んでいません。次は福島にその方とともに出かけてみようと思います。
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