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阪神・淡路大震災から25年が経ちました。

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1月17日は何年たっても忘れてはいけない日です。 6,434名の尊い命が失われた阪神・淡路大震災が発生してから25年が経ちました。震災で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。 皆さんは25年という月日に何を思うでしょうか? この記事を書いている町田は19歳の時でした。医学部生でありながらまだ医療の授業はほとんどない1年生時に、災害医療の‟さ”の字も頭に思い浮かばず、一人暮らしのアパートでテレビを見てただ呆然としていた記憶が残っています。 その後、15年以上たってから様々な機会で神戸に出かけることがあり、その時に震災を経験した医療者の先輩方からいろいろなお話を聞かせていただいたり、神戸の街でひっそりとたたずんでいる震災の跡を見つめながら、もしこのような災害が起こった時に自分に何ができるか考えるようになりました。 残念ながらその後も大きな災害が日本で発生しています。 中には人間の力では発生を止めることができないものもありますが、大切なことは過去の災害を風化させず、その災害に直面した方々に思いを寄せていくことです。 そしてこの震災の後に生まれた医療者にも、この震災に人々がどう向き合ってきたかをしっかり伝えていきたいと思います。

知らない世代も増えてきた時代に…~阪神・淡路大震災から24年~

1月17日は何年たっても忘れてはいけない日です。 24年前のこの日の早朝に阪神・淡路大震災が発生し、6,434名の尊い命が失われました。震災で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。 いま当院で働いている職員の中には、「阪神・淡路大震災の後に生まれた」という方々も増えてきています。24年…干支も2回りしているのですね。 いま災害医療に関わっている私たちですが、この時の多くの経験がいまでも引き継がれて私たちの活動を支えています。 次の世代にこの震災の経験から得られた教訓をきちんと伝えることも、その震災を知っているものの役割です。 何よりも一人一人が命の大切さを受け止めながらしっかり生きていくことが大切です。

もし群馬県が被災したら?~阪神淡路大震災から22年~

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阪神淡路大震災から22年がたちました。 この震災の対応から多くのことを学び日本の災害医療は大きな発展をしてきました。いまでは災害時にDMATやドクターヘリは欠かせないものになっていますが、その当時の現場で戦った医療関係者の皆様のご苦労ははかり知ることができません。その方々の思いを引き継ぐべくこれからも日々努力していく次第です。 当院では院外向けに「博愛」という広報誌を定期発行しています。 時々当科にも原稿の依頼が来ますが、昨年末に中村センター長より「群馬で災害が起こったときにどのように対応するか」とく記事を書きました。今日この日に改めて自分たちがきちんと活動できるかどうか振り返る意味を込めてその記事を紹介します。 ~~院外広報誌「博愛(平成28年12月発行)」より~~ 『熊本地震の救護活動から見えてきたもの』 -もし群馬県が被災したら? 前橋赤十字病院としての役割と課題- 南海トラフ地震は,内閣府より 防災対策推進基本計画が示されている. 「具体的な応急対策活動に関する計画の概要」 では,熊本県は「被害が想定される地域」に分類されているが,大分県や宮崎県の被害が甚大であるため,政府総合防災訓練では熊本県は九州の統括的な立場で被災者や傷病者の受け入れを行う想定とされていた.そんな中, 2016 年 4 月 14 日, 21 時 26 分,熊本県を震源とするマグネチュード 6.5 ,最大震度 7 の地震が, 16 日, 1 時 25 分には本震となるマグニチュード 7.3 の地震が発生し,死者 133 人(災害関連死を含む)に及ぶ甚大な被害をもたらした( 2016 年 11 月 4 日現在). まさにこの状態は群馬県と同じである.南海トラフ地震の 防災対策推進基本計画で, 群馬県は「被害が想定されない地域」とされている. では, 群馬県では災害が起きないのか?実は,群馬県にも 3 つの断層がある. 関東平野北西縁断層,太田断層,片品川左岸断層である.最も大きな被害をもたらすものは,関東平野北西縁断層であり,最大でマグネチュード 8.1 ,死者数 3,000 人,負傷者数 18,000 人と想定されている.もし,この地震が起きたら,当院は何をしなければならないのかを考えておかなければならない. まず,院内...

語り引き継いでいかなければいけません。~阪神・淡路大震災から21年~

1月17日は何年たっても忘れてはいけない日です。 21年前のこの日の朝方に阪神・淡路大震災が発生し、6,434名の尊い命が失われました。震災で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。 いま当科を回っている初期研修医に話を聞くと、「5歳のときでなんとなくテレビのニュースを覚えている」と言っていました。さらに今年の新成人の方々は震災後の生まれたことになるのですね。 いま災害医療に関わっている私たちですが、この時の多くの経験がいまでも引き継がれて私たちの活動を支えています。今年の3月には東日本大震災から5年になります。スタッフの多くがこの震災では実際に災害救護活動に携わりました。次の世代にこの経験で得られた教訓をきちんと伝えて、もし大きな震災が起こってしまった時に一人でも多くの方の生命を守れるようにしていかないといけません。 そして何よりも一人一人が命の大切さを受け止めながらしっかり生きていくことが大切です。

阪神・淡路大震災から20年がたちました・・・

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1月17日・・・阪神・淡路大震災が起こった日です。 今から20年前の平成7年1月17日午前5時46分52秒、淡路島北部沖の明石海峡を震源としたM7.3の地震が発生しました。 この地震による死者・行方不明者は6,434名と多くの尊い命が奪われた大きな災害でした。   20年前のこの日、関東で医学部1年だった僕は呆然とテレビを見ていた記憶があります。 その2年前に起きた北海道南西沖地震の時は、地元北海道で自分自身も揺れを強く感じ、そして夜にもかかわらず空をヘリコプターが飛び交っている音を聞いていましたが、阪神淡路大震災の時は、画像から目に入ってくる衝撃的な映像と自分の周囲に何も起こっていないギャップに、よくわからないままただただ数日を過ごしていました。数日後に大学の同級生から「実家がつぶれちゃった」という話を聞いて、そこでようやく関西で起きている現実に気が付きました。 それからは日々入ってくる情報から何かできることがないか考えながら過ごしていたような気がします。もちろんその当時の医学部1年の僕にできることがほとんどなく、自分の無力さに落ち込むとともに将来は救急災害医療にも貢献できる医師になろうと考え始めるきっかけになりました。 阪神・淡路大震災での経験がいまの災害救護医療にたくさん生かされております。急性期災害医療チームの誕生、ヘリコプターの医療への活用など、今では当たり前となっていることが、実はこの経験から生まれてきています。 その後の中越、中越沖、そして東日本大震災などの大きな地震災害でこの時の経験が生かされているとともに、阪神・淡路大震災を経験した方々が様々な活動に実際に参加されて被災者の方々を支えていました。 20年目の今、群馬は相変わらず風の冷たい朝です。震災当日の関西地方もきっと寒い日だったでしょう。地震により亡くなられた方々に心よりご冥福をお祈りするとともに、被災者・被災地のさらなる復興と発展を心から願っております。 昨日と今日の2日間、群馬県庁において『平成26年度群馬県危機管理フェア』が開催されています。20年という節目にもしお時間がある方はぜひ足を運んでみてください。災害に対する群馬県の取り組みだけではなく、皆様一人一人が普段から減災・免災のためにできるヒントがたくさんあると思います。 本日は自...