朝倉町に救急病院がやって来た~! (群馬県ドクターヘリ5月度活動実績を更新しました。)
Web担当の伊藤です。
これまで6月1日前橋赤十字病院移転のお話を医師の視点でしてきましたが、今回は記録係の視点でお話しさせていただきます。
6月1日移転当日まで計2回の大規模な移転リハーサルを行ってきました。
いよいよ本番の6月1日、近隣の方ならお気づきだったと思いますが、移転で使用する旧病院から新病院までの移転ルートには、移転お知らせの看板が立てられていました。
患者さんを乗せる搬送車の前には、白バイやパトカーが先導して旧病院と新病院の間を何往復もしました。当然、普段はあまり見られない光景ですね。
搬送に関わるスタッフは、朝7時の集合でした。当日は看護学校の学生さんがたくさんお手伝いに来てくださったので、筆者はその受付のために、6時45分の出勤でした(^.^;;)
搬送スタッフはチーム毎に分かれていました。主に移送本部、搬送担当、受入口担当などです。それぞれがゼッケンをつけて、役割がわかるようになっていました。
旧病院と新病院の移送本部スタッフの話し合いはテレビカメラで行っていました。
カメラの前にいると誰でも写り込んでしまうので、ぼんやりした顔をしているのがすぐにバレてしまいます。
新病院本部統括担当の藤塚副部長です。前回の記事の写真はご本人が撮影されていたので、その活躍するお姿は写っていませんでしたが、筆者は、きちんと撮影しました。何があっても慌てることなく、しっかりと大事業をやり遂げていました。
今回の搬送を成功に導いたのは何より搬送現場のスタッフだったのではないかと思います。患者さんが運ばれるたびに受入口から病棟まで何往復もしていた搬送スタッフの方々。きっと最後は足が棒になっていたに違いありません。
また、普段は診療に専念する医師たちも、当日は1日中患者さんの受入を管理していました。 いつもとは違う表情をされていて、なんだか新鮮な気分でした。
搬送が始まると、昨日までガランとしていた病棟も、賑やかになりました。人が入る前は無機質で何もないように感じた空間ですが、人が住み始めると、急に生活感が出るものですね。
ICU入室中の重症患者さんは、搬送が早期終了となり、患者さんへの負担を最小限にしていました。ここも昨日までは無機質でしたが、スタッフが集まることで、急に活気づきます。
スタッフのお昼はおにぎり2個とおかずが少し支給されました。配布場所の職員用のコミュニティモールに、たくさんの職員が集まりました。
当初夕方5時までの予定だった搬送も、3時には全て終了しました。最後の病院長の挨拶で、このような大事業をこんなに短時間で行えたことは、日赤ならではの力であり、またそれを見事にこなした当院スタッフはこれからも苦難を乗り越えていけるだろう、とのお言葉がありました。
こうして筆者が生まれ育ったわが町に前橋日赤がやって来ました。
これまでも上川淵住民に対する移設についての説明会が幾度となく行われて来ましたが、その一住民としては、すでにその受入はできていて、ごく日常的なこととして近所の救急病院の存在を認めている、ということです。
筆者がこの病院を定年退職後も、地域の住民としてなんらかのお世話になるであろう前橋日赤です。
職員としても、地域の住民としても良い関係を持ち続けたい。
そういった病院であり続けることを願う今日この頃です。
これまで6月1日前橋赤十字病院移転のお話を医師の視点でしてきましたが、今回は記録係の視点でお話しさせていただきます。
6月1日移転当日まで計2回の大規模な移転リハーサルを行ってきました。
いよいよ本番の6月1日、近隣の方ならお気づきだったと思いますが、移転で使用する旧病院から新病院までの移転ルートには、移転お知らせの看板が立てられていました。
患者さんを乗せる搬送車の前には、白バイやパトカーが先導して旧病院と新病院の間を何往復もしました。当然、普段はあまり見られない光景ですね。
群馬県内の看護学生さんがたくさんお手伝いに 来てくださいました。本当にありがたいことです。 |
集合が早い当院のスタッフたち。 日頃のチーム医療の賜物です。 |
旧病院と新病院の移送本部スタッフの話し合いはテレビカメラで行っていました。
カメラの前にいると誰でも写り込んでしまうので、ぼんやりした顔をしているのがすぐにバレてしまいます。
新病院本部統括担当の藤塚副部長です。前回の記事の写真はご本人が撮影されていたので、その活躍するお姿は写っていませんでしたが、筆者は、きちんと撮影しました。何があっても慌てることなく、しっかりと大事業をやり遂げていました。
患者さんの到着を待ちわびる搬送担当の 初期研修医たち。 特別な経験ができたと 笑顔で答える姿に 頼もしさを感じました。 |
受入担当の脳外科藤巻部長と呼内土屋副部長。 真剣な表情が印象的です。 |
病棟をコントロールする丹下副院長。 旧病院と変わらぬ光景です。 |
スタッフ全員で協力し合い、 患者さんを安全にベッドへ移動しました。 |
スタッフのお昼はおにぎり2個とおかずが少し支給されました。配布場所の職員用のコミュニティモールに、たくさんの職員が集まりました。
当初夕方5時までの予定だった搬送も、3時には全て終了しました。最後の病院長の挨拶で、このような大事業をこんなに短時間で行えたことは、日赤ならではの力であり、またそれを見事にこなした当院スタッフはこれからも苦難を乗り越えていけるだろう、とのお言葉がありました。
こうして筆者が生まれ育ったわが町に前橋日赤がやって来ました。
これまでも上川淵住民に対する移設についての説明会が幾度となく行われて来ましたが、その一住民としては、すでにその受入はできていて、ごく日常的なこととして近所の救急病院の存在を認めている、ということです。
筆者がこの病院を定年退職後も、地域の住民としてなんらかのお世話になるであろう前橋日赤です。
職員としても、地域の住民としても良い関係を持ち続けたい。
そういった病院であり続けることを願う今日この頃です。
移送当日にも出動があったドクターヘリ。地上から飛び立つ姿はなんとも圧巻です。 |
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