観測史上最大の積雪の中で 〜別の視点から〜

Web担当の伊藤です。

今年に入って、史上初とか、史上最高とかいう言葉を既に何回も聞きました。
ソチオリンピックの羽生結弦選手の史上初の男子フィギュアスケート金メダルの感動もさることながら、その日に観測された記録的な大雪も生涯忘れられない出来事となるでしょう。
筆者は、その前の週の2月8日土曜日、関東地方に最初の豪雪が降り出して間もなく、診療情報管理士の認定試験受験のために、都内へ足を運んでいました。

上越新幹線東京駅行きの車窓(熊谷付近)より。到着時間の遅れは全くありませんでした。

実は筆者は25年間、東京に住んでいました。その25年間に都内で大雪に見舞われた事2回、震度5以上の地震が1回、台風で地下鉄が水浸しになった経験を2回、地下鉄サリン事件の時にも日比谷線通勤内の職場にいました。
東京に住むと、まず、よほどの高給取りでないと車と言うものを持てません。よって、そういった天災、人的災害で電車が止まっても、車なしで移動しなければならないのです。特に通勤ラッシュ時の交通網の麻痺は致命的で、普段は各線を乗り継いで20分くらいで行ける場所に2、3時間かけて行った事もあります。たいていは行けるところまで徒歩で、タイミングが合えばバスや電車を乗り継ぎして・・・というケースが多かったと思います。都内にお住まいの方には、容易に想像できる事だろうと思います。
そういった歴史もあってか、大雪の東京は思ったよりも混乱しておらず、幸い、土曜日で通勤ラッシュがなかったのもあって、主要鉄道の遅れは、2、3分程度。東京メトロの遅れはほとんどなく、群馬に残してきた家族に心配をかけながらも、ほぼ予定通りにホテルに到着する事が出来ました。
翌日試験当日は、ホテルからタクシーを利用して試験会場に向かう予定でしたが、私立大学の入学受験が重なっていた事もあり、既にタクシー会社の電話は不通、車道を走るタクシーは客を乗せており、結局、20センチ以上積もった雪道を、大きな旅行カバンを引きずって、通常でも徒歩10分ほどかかるとのことの試験会場に行かなければならないと、覚悟していました。ところが試験会場までの道のりは既に地元の住民達が総出で雪かきをしており、試験が終わった頃には歩道にはほぼ雪がない状態で、怪我もなく事故にも遭わず無事試験を終える事ができました。
首都東京のたくましさを再確認した瞬間でもありました。

会場到着時。2月9日朝9時半頃ですがほとんど雪の影響はありませんでした。

しかし、その次の週末も大雪となってしまいました。
前橋に2月14日から降り始めた雪は、翌朝には70㎝を超す積雪となり、余りの雪の多さで両下腿がすっぽりと雪に埋まってしまい、歩く事も出来なくなっていました。
雪かきで集まってきた住民は、筆者の両親含めほぼ70代、80代の高齢者で、処理しきれない大量の積雪に、成す術もなく途方に暮れていました。
またスーパーは全て閉店休業、コンビニは既に食料は完売状態、前橋市民にとって、このおよそ100年ぶりの「どか雪」は予想を遥かに超えた大混乱となってしまいました。
翌日曜日になっても一向に雪は除雪されず、未だ50センチ以上積雪がある状態、車道には車輪が雪にハマって動けない車が立ち往生しており、近所のスーパーもまだ閉店してました。
食料品も底をつき、筆者は徒歩で開店している店を探しました。雪道で通りすがる方々に声をかけ、励ましあいながら、なかには、「明日、透析があるのに・・・。私、どうなっちゃうんだろう」とか、「お薬が買えなくて困っている。病気が悪化したらどうしよう」とか、おっしゃっている方もいて、心が痛みました。
筆者が住むような、過疎化、高齢化が進む一方の地域では、災害時、早期にマンパワーが不足してしまいます。早急な除雪で復興をして、けが人、急病人を防ぐ対策が望まれました。

2月9日朝の世田谷の風景。車道にはほとんど雪がありませんでした。

2月16日午前11頃の前橋市郊外の様子。もう、どうにも動けません。
高齢者や病人にとって、この雪を処理するのは至難の業です・・・。

2月17日月曜日の朝になっても、道路はどこも雪だらけでした。病院の前の国道50号は「のろのろ運転」の車で大渋滞。それを避けるために筆者は2月17日〜2月22日まで雪道を歩いて通勤しましたが、病院の職員駐車場の雪が除雪されるまで当院の医師も看護師も徒歩通勤を続けていました。

2月17日朝7時頃の病院前の国道50号。既に渋滞状態でした。


一昨年前、Hospital MIMMSを受講したとき、自分の県で予想される災害はなんですか?と聞かれました。北海道から沖縄まで多くの受講生を迎えるこのコースでは、各地の受講 生より、地域性を感じるリアルな災害予想が述べられました。しかし東北大震災の時も地震の影響を余り受けず、冬も雪があまり降らない安全神話すらある前橋 市民にあっては、浅間噴火での降灰被害しか思い浮かびませんでした。
しかし、「災害」と言うのは、思いもかけず、こうして「史上初」「史上最高」の規模で、予想だにしないケースで起こりうるものです。
リハーサルなしで本番に挑むのは容易ではありません。常にいろんな「史上初」「史上最高」のケースを仮想し、地域性、住民層を調査した上での訓練を、各部署、各行政機関で行う必要性を感じた今回の大雪でした。

大雪から1週間後の2月22日の高度救命救急センター。すっかりきれいに除雪されています。この日、筆者は日直で出勤していましたが、これが先週だったら出勤できなかったかもしれません。

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