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2010年度の終わりに・・・(群馬県ドクターヘリ3月&2010年度実績速報付)

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集中治療科・救急科&フライトドクターの町田です。 だいぶ日中の日差しが暖かくなってきましたが、まだ朝方の冷え込みは続いています。群馬はまだ桜が咲いていませんが、群馬を飛び越してでも早く被災地に暖かい春がやってくることを願ってやみません。4月に入っても引き続き救護班を派遣する予定です。 蓮池先生と6か月当科で研修をおこなった 群馬大学初期研修医の吉田先生。 2010年度ももう少しで終わりになります。いろいろなことを振り返りたいところですが、3月11日の震災のためそんな余裕はありませんでした。 異動に伴う準備や引っ越しなどで忙し中で、最後の最後まで共に働いていただいた蓮池先生、宮澤先生、そして救急科での研修を選択してくれた伊東先生、初期研修医のみなさん、本当にありがとうございました。また他科の先生方にも大変お世話になりましたが、お礼の挨拶もできなかったことを心よりお詫び申し上げます。4月からの皆様の新天地でのますますのご活躍を心よりお祈りいたします。 明日からは新たに4名の先生方が当科で一緒に働くことになります。新しい仲間とよりよい高度救命救急センターをめざして頑張っていこうと思います。(当科の平均年齢が下がります!) 4月からの新メンバーを含め、これからもよろしくお願いします。 ☆☆群馬県ドクターヘリ実績速報☆☆ 【2011年3月】 <要請・出動> ドクターヘリ要請:46件(先月-4件) ドクターヘリ出動:32件(先月‐12件)、未出動:14件(うちDMAT活動中7件) ・現場出動:30件 ・施設間搬送:1件 ・出動後キャンセル:1件(キャンセル率:6.3%) <要請元消防本部>要請/出動 ・前橋市消防 8/8件 ・吾妻広域消防 7/6件 ・太田市消防 7/3件 ・桐生市消防 5/4件 ・多野藤岡広域消防 4/4件 ・渋川広域消防 4/3件 ・高崎市等広域消防 3/1件 ・利根沼田広域消防 2/2件 ・館林地区消防 2/0件 ・富岡甘楽広域消防 2/0件 ・伊勢崎市消防 1/1件 <搬送先病院> ・11名 前橋赤十字病院 ・7名 高崎総合医療センター ・4名 群馬大学医学部附属病院 ・2名 済生会前橋病院、総合太田病院 ・1名 佐久総合病院(長野)、埼玉医科大学総合医療セン...

医療者の魂!

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集中治療科・救急科&フライトドクターの町田です。   2010年度もそろそろ終わろうとしています。例年であれば年度末の統計をまとめたり、新しく来る先生を迎えるに当たりいろいろ準備をするところですが、今年はあまり体制が整っておりません。でも新しく来る先生が早く仕事と職場になじんでくれるようみんなで迎える気持ちは高まっています。  麻酔科から伊東先生(真ん中)が半年間当科で研修を行い、今月で修了になります。 ER、ICUで大活躍していただきました。 左から朝日航洋の大出整備士、鶴本機長です。3/12から3/15までずっと 群馬県ドクターヘリで被災地での活動をともにしていただきました。  当院は高度救命救急センターということで計画停電から外していただくことになりました。しかし、計画停電中もいつもと変わりなく救急外来も集中治療室も大混雑です。毎日ベッドコントロールと闘いながら、他病院の協力も仰ぎながら可能な限りなんとか重症患者の受け入れを行う日々が続いています。この3か月でICUには約180人の入室があり、ドクターヘリも約120件の出動がありました。昨日は4件の要請が重なり、そのうちなんとか3件に出動しました。 4月の初旬には2010年度の実績を皆さんに公表できるよう、なんとか今日から仕事のすきを見ながらまとめ始めようと思います。 患者さんの無事を祈り見送る、 被災地の看護師さん・・・ 新聞やニュースでは被災地にだいぶ物資が届いてきたという話題が増えてきましたが、まだまだ十分とは言えないようです。特に医薬品などの医療に関することは全然不足しているようです。そのような中で、自分の診療所や医院が津波に流されてしまったにもかかわらず、避難所を巡回し地元の方々のために診療を続けている医師や看護師のことが新聞で報じられていました。写真をみるとその医師や看護師自身がやつれた顔をしているにもかかわらず、避難している高齢者の方に笑顔で話しかけていました。「患者に呼ばれたら、診ないわけにはいかない・・・」という言葉を胸に、24時間いつでも呼ばれたら対応しているとのことです。  いまだに信じられない光景の中での 活動でしたが、病院スタッフの協力で 夜遅くまで続いた患者搬送において、 一人もけが人が出ませんでした。 その新聞記事の中に、“津波で機...

初期研修医たちの旅立ち

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集中治療科・救急科の町田です。 今朝大きな余震がありました。一番揺れた石巻には私もDMATで出動しており、通勤中のラジオから流れてくる情報から耳を離せませんでした。今回の余震では大きな被害がなくほっとしていますが、死者、行方不明者の数が発表のたびに増えてい現実が、今回の災害の大きさをあらためて突きつけられます。今も被災地で懸命に過ごしている被災者の皆様、救助活動や医療活動を行っている皆様、遠くからで申し訳ありませんが心より応援しております。何らかの形で毎日支援を続けていきます。 先週の金曜日は当院初期研修医第6期生の修了式がありました。屋上ヘリポートに来て、“どうしたらヘリに乗れるんですか~?”と無邪気に質問していた日から、あっという間に2年間が立ちました。当科ローテーションのときは、救急外来や集中治療室で重症患者への対応や当直業務に圧倒され悔しくて落ち込んでいた姿もありました。でも最近では救急外来での患者さんへの対応もある程度任せられるようになり、また集中治療室でも自分で一生懸命考えて指示を出すように成長してきました。また、今回の震災で多くの病院スタッフが医療チームとして被災地に入りましたが、その際も病院の機能を落とすことなく守ってくれた大きな力でした。 本来は修了式の後に祝賀会があるのですが、今年は自粛して中止となりました。でも初期研修医が集まって小さいながら送別会があり、そこに当科スタッフも2名参加させていただきましたが、2年生が1年生に多くのことを引き継いでいる姿が印象的でした。当院で学んだ初期研修医はどこに行っても大きな力としてがんばってくれることでしょう。これからの活躍に大いに期待しています。 3月末をもって卒業する11名の勇姿! 彼らの活躍が当院の活動を支えてくれました。  昨年4月に一緒に当科に来た後期研修医トリオ! 彼らもすでにスタッフとして大活躍です。 宮澤先生(写真左)はお別れですが、岡森先生、雨宮先生は 4月から新しく来るメンバーのよき兄貴分になるでしょう。  ブログのタイトル画面に桜の花を咲かせました。今年は桜の開花が遅れているようです。被災地に早く暖かい春が来るように祈っています。

旅立ちの季節。

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集中治療科・救急科&フライトドクターの町田です。 東北関東大震災の被災地ではまだ十分な医療が受けられない方が多いとニュースで流れており、長期的なサポートの必要性が十分に伝わってきます。本日当院の日赤救護班3班目(初動救護班を含めると8班目が帰還しました。石巻での救護活動を行ってきましたが、被災した皆さんの心の温かさが印象的だったとのことです。当院では引き続き救護班を派遣する予定でいます。 余震が収まり、寒気が早く抜けて、被災地に早く穏やかな暖かい春が訪れることを切に願っている毎日です。 3月末になりました。年度末は送別の季節です。当科も2名のスタッフとのお別れがやってきてしまいました。 1名は都内の病院の麻酔科から1年間研修で来ていただいた宮澤先生。本来は半年の研修予定でしたが、本人の強い希望もあり1年間当科で一緒に過ごしました。来たばかりのときは「麻酔科からきて救急のことは何もわからない」といっていましたが、あれよあれよという間に仕事を覚え、今ではERでもICUでもリーダーや当直を任せても安心です。明るく元気でたのもしい姿が、若い研修医にとっては“頼りになるお姉さん”であったとのことです。まだ当院で働いていますが、来週にはお別れです。昨日宮澤先生に続いて当院研修に来る先生に病院案内をしていました。引き続きよろしくお願いします。 蓮池師匠と弟子(僕)です。 そしてもう1名、僕がこの病院に来る2年前から当科で働いていた蓮池先生。僕も3年前から救急医療に従事するようになりましたが、外科系上がりで知識より経験頼りであった僕に、一から抗生剤の正しい使い方、人工呼吸管理の仕方を教えてくれました。医師になってから今までで一番僕に知識を与えてくれた医療人の一人です。当科スタッフや看護師からの絶対的な信頼があり、ICLSコースを仕切ったり研修医に熱心に指導したり、心から尊敬できる医師でした。ゆっくりと送別をできぬまま蓮池先生は今日で最後になってしまいましたが、最後は「またどこかで一緒に働こう。」と約束し握手をして別れました。神戸でさらにステップアップをして、世界に羽ばたくような活躍を願っています。またみんなで会える日を心待ちにしています。 また明日は当院初期研修医2年目の修了式があります。特に当科をローテーションしているときは毎日が目まぐるしく過ぎていたと...

前橋赤十字病院初動救護班(日赤DMAT)活動報告

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集中治療科・救急科の町田です。 ガソリンスタンドが大混雑しているため自転車で通勤する職員が増えています。また電車がとまっているので病院で寝泊りしている職員もいます。病院の9階にあるドクターヘリ運航待機室からきれいな前橋の夜景が見えますが、今はいつもと違って街の明かりが少ないです。しかし群馬ではいつもと同じ生活が行われています・・・今までどれだけ無駄にエネルギーを使っていたかを思うと心が痛みます。 3/19に引き続いて昨日も被災県である福島県の病院の患者さんの受け入れを行いました。 昨日は群馬県DMATの10チーム47名が集まり、群馬県立産業技術センターをSCUとして搬送されてきた患者さんの群馬県内各病院へ分散搬送する活動を行いました。県庁や群馬県内各消防本部など関係各機関のご協力もあり、20時半ころに患者さんが搬送先にすべて収容されたことを確認しました。 災害援助の救急車や自衛隊救急車で患者さんが搬送されてきました。 SCUでトリアージ、状態の安定化の確認、必要であれば治療を行いました。 2日間で124名の患者さんを群馬県内の各病院に搬送しました。 今回の東北関東大震災の急性期災害活動においては、初動救護班(DMAT)としてのべ7チームを派遣しました。 ・花巻SCUにおけるドクターヘリ調整本部 ・福島医大におけるドクターヘリ調整本部 ・石巻市立病院における後方搬送調整業務 ・ドクターヘリによる後方搬送 の現地活動に加えて、 ・当院をSCUとした福島県大町病院の傷病者受入 ・群馬県立産業技術センターをSCUとした福島県大町病院の傷病者受入 ・群馬県DMAT調整本部活動 を行いました。 昨日の活動で当院のDMATの活動は終結となりました。この間、当科の若手医師や研修医のスタッフにはいつもの高度救命救急センターとしての病院の職務を維持すべく、本当に休む時間を惜しんで一生懸命働いていました。また他科医師の皆様や病院職員の皆様にも多大なるご負担をおかけしましたが、当科スタッフや職員の皆様の後方支援がなければこのような活動は決して行うことができませんでした。皆様のご協力に心より感謝いたします。 被災地への支援はまだまだ継続しています。当院からも初動救護班(DMAT)に引き続き、救護班が被災地で活動しております。現在...

支援活動は続きます。

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東北地方太平洋沖地震によって被害を受けられた方々に、心よりお見舞い申し上げます。 初動救護班(DMAT)5チームが3月15日に病院に戻ってきました。 その後も日赤救護班が引き続き被災地で活動中です。 3月19日は、県庁からの指令で福島県南相馬市の病院より62名の患者さんを群馬県基幹災害医療センターである前橋赤十字病院で受け入れました。医師、看護師、ロジにより結成された支援チームで患者さん受入後に各転院先病院へ送り届けるまでが今回の活動でした。 支援チームスタッフで何度も綿密に打ち合わせが行われました。  患者さん62名を乗せた大型バス。    20日夜中まで活動は続き、全患者を群馬県内の各病院に搬送しました。  今後も被災県からの患者さんの受け入れ等、まだまだ支援活動継続中です。 記事記載:@JUN

被災者の皆さんに物資と勇気を与えてください。

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町田です。 まずは3月11日の東北地方太平洋沖地震により、お亡くなりになられた方のご冥福をお祈り申し上げます。また、被災された多くの方に心からお見舞い申し上げますとともに、被災地の早期の復旧をお祈り申し上げます。 前橋赤十字病院でも発災日にDMAT(初動救護班)1チーム、翌朝にはドクターヘリでもう1チーム、その後も陸路やヘリコプターで3チーム派遣し、合計5チーム20人を福島、宮城、岩手での活動に派遣しました。また後方搬送の重症患者の受入れも行いました。 私も発災3日目に福島医大に入り、翌日から2日間津波によって孤立した石巻の病院の活動に参加し、昨日夜に福島経由で前橋に帰還しました。初日から参加しているチームも昨日帰還しましたが、現在は引き続き日赤救護班として当院の救護班が被災地で活動を継続しています。被災地の活動継続のために病院を挙げて協力体制をとっています。 まだ多くの方々が活動中であり、現時点では詳細の報告はいたしません。ただ僕自身、石巻で津波に壊滅された町並みで津波の恐怖を目のあたりにしました。福島でも津波と原発のことに懸命に取り組んでるスタッフの必死の姿を見ました。 津波によって破壊された町並み・・・ 残されていた病院スタッフのご協力に心より感謝いたします。 被災者のみなさんは協力し合って一生懸命がんばっていますが、とにかく物資が不足しています。夜に水も電気もつかない病院にいましたが、水1滴、紙1枚、毛布1枚が本当に大事なことを感じました。 多くの国民が各々の形で被災者のために支援をしていると思いますが、これからも一人ひとりができることをもっともっと考えて何らかの形で被災者の皆さんに物資と勇気を与え続けてください。