2016年3月12日土曜日

5年ぶりの再結集!~石巻再会の集い&被災地めぐり~

町田です。
東日本大震災から5年がたちましたが、被災地にいらっしゃった方はもちろんですが、被災地外から被災地に災害救護活動に入った人々もいろいろな思いをもって過ごしていたと思います。
被災地に寄り添いたいという気持ちから「被災地に足を運びたい」という思いを持っていても、距離・時間・平時の勤務状況などから実際には近くて遠い場所になったりしているのです。


今回はやや個人的な話になってしまうことをお許しください。
僕は東日本大震災における災害救護活動において、日赤初動救護班(DMAT)で「石巻市立病院」の病院避難活動に参加しました。
石巻市立病院は地震直後の津波によって病院周囲が水没してしまい、ライフラインが全滅した環境に患者さん150名、病院スタッフ・近隣住民あわせて450名が取り残されました。その病院の患者さんの避難は地震から3日目にようやく始まり、本格的な患者さんの避難は3月14日に行われました。僕自身は3月14日に石巻市立病院に入り、そこで約24時間の活動を行いました。

活動の詳細はここでは書きませんが、食料もほとんどない中で患者さんとともに残った病院スタッフの方々のとにかく献身的な姿に涙があふれた記憶があります。そしてそこで活動したりそこでの活動を支援していただいたDMATの結束の固さはいまでもとても誇りに感じています。
そこでのDMAT活動が終了し病院スタッフと別れる時に「必ずこの地で再会しましょう!」と約束しました。


そして5年たって・・・

暖かいおもてなしで迎えてくださった石巻市立病院スタッフの方々と
全国から集まったDMAT隊員との「再会の集い」が開催されました。
今年3月5日に石巻市で市立病院スタッフとDMAT隊員の再会が果たされました。今回は病院スタッフ4名とDMAT隊員8名が集まりました。またDMAT隊員についてはこの活動に関わった20名を超すすべてのDMAT隊員の方々から連絡を頂きました。5年たってもこのようにつながっていることは、とてもかけがえのないものだと感じました。

また日和山から病院跡地を眺めたり、実際に病院跡地に足を運んで5年前のことを思い出しながら、これまでの現地の復興状況の大変さ、自分たちが5年間をいかに過ごしたかを考え直しました。



また3月6日は「被災地めぐり」を行いました。
病院スタッフの方が案内役となっていただき、石巻市門脇・南浜地区、女川町、石巻市雄勝地区(石巻市立雄勝病院跡地)、石巻市釜谷地区(旧大川小学校跡)を、震災時とその後の5年間の被災地の歩みの「語り部」として一緒に回っていただきました。
石巻市門脇・南浜地区
女川町
石巻市雄勝地区(旧石巻市立雄勝病院跡地)
石巻市釜谷地区(旧大川小学校跡)
南三陸町志津川地区(防災庁舎跡)
僕は5年連続でこの時期に石巻を訪問していますが、毎年変わったところ、変わらないところは実際にこの目で見ないとわかりません。そして地元の方の声を聞いて初めて知らされる話もたくさんあります。
皆さんはこれらの写真を見てどのように感じたでしょうか?復興と東京オリンピックとの関係、震災遺構をめぐる様々な考え、そして人々の記憶から忘れ去られそうになっている事実など、やはり自分自身で感じることがとても大切であるように感じます。今回みんなでこのように足を運ぶことの意味は十分あったように思います。

忘れてはいけない・・・


☆僕が訪れた過去5年間の報告
・2011年 http://drheli-gunma.blogspot.jp/2011/03/blog-post_30.html
・2012年 http://drheli-gunma.blogspot.jp/2012/03/1_26.html
・2013年 http://drheli-gunma.blogspot.jp/2013/03/2.html
・2014年① http://drheli-gunma.blogspot.jp/2014/03/3.html
・2014年② http://drheli-gunma.blogspot.jp/2014/03/3_11.html
・2015年 http://drheli-gunma.blogspot.jp/2015/05/blog-post_6.html



再会の夜は修学旅行のように大部屋で!
おいしい海の幸が待っています!
(南三陸さんさん商店街にて)




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