2014年8月15日金曜日

日赤看護婦の『殉職慰霊碑』~戦争と命の重さを考える~



*今回の話は太平洋戦争のころの話題です。現在は看護師と呼んでいますが、今回は歴史に沿って看護婦と記載させていただきます。
 
 
町田です。
今日は太平洋戦争の終戦から69年目の日です。
皆さん、前橋赤十字病院の敷地内の一角に『殉職慰霊碑』があるのをご存知でしょうか?
 
 
太平洋戦争では日赤看護婦にも赤紙と呼ばれた召集令状が届けられて、なんと3万人を超える看護婦が戦地や国内の病院に従軍看護婦として派遣されていました。
戦争は本当にむごすぎます。戦局が悪化の一途をたどるとともに看護婦はどんどん前線に送られるようになり、赤十字の旗印がついているテントにも砲弾の嵐が襲うようになりました。太平洋戦争においては1000名を超す看護婦が尊い命を奪われています。
 
当院にある殉職慰霊碑は、人道的支援目的で戦地で赴いたにもかかわらず異教の都で殉職された群馬県内の赤十字看護婦32名の霊を慰めるために、昭和50年に建立されました。
 
 
今の時代も世界のいたるところで戦争が行われています。
皆さん、外国人の友人や仕事仲間などがいると思います。このような方ともし戦場で敵同士で出会ったいたとしたら、平和の世の中だったらすばらしい仲間になれる方と戦場で命を奪い合っていたかもしれません。そんな悲しいことってありますか?
また戦場では無機質な鉛のたまや炎により、顔も性格も知らない人の尊い命を簡単に奪っています。毎日毎日患者の命のために必死に戦っている僕たちの活動ってなんなのでしょうか?
 
 
私の祖父は最前線で医師として従軍していたそうです。祖父の頭を銃弾がかすめるような中で必死に負傷兵の救助にあたったそうです。私の父も小学生のころに住んでいた家の庭に爆弾が落ちて、妹たちの手を引いて防空壕に逃げたそうです。そして母は終戦まじかに生まれましたが、生まれた後も防空壕で多くの方々に支えられた育てられたそうです。
もし戦争で祖父や両親が失われていれば、自分は今この地球上には存在していなかったかもしれません。
 
救急医療、特に外傷診療は皮肉にも戦争により発展してきた歴史があります。
日赤の戦争中の歴史、家族の戦争体験を知ったり聞く機会があり、このような歴史背景をしっかり心に刻んだうえで医療の平和利用を進めていかないといけないですね。

4 件のコメント :

  1. 戦争で犠牲になるのは、いつでも、どこの国でも、一般の庶民です。
    もし、戦争による犠牲者をなくすことを考えるなら、政治の先頭にいる人たちが、自分の命を懸けてでも、守ることを真剣に考えるべきです。

    一文字違い

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    1. 一文字違いさん、コメントいただきありがとうございます。
      とにかく戦争の最前線で命が無残に奪われているか、医療の現場で命とどれだけ戦っているかを真剣に考えてほしいですね。
      僕たちはとにかく命のために頑張っていくのみです!

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  2. 町田先生
    近所に住む者です。
    いつも救急医療をありがとうございます。
    ドクターヘリを見上げるたびに、どうか助かりますように、と祈らずにはいられません。

    このブログ、今日初めて発見しました。
    広島関連の記事からです。
    もっと多くの人に読んで頂きたいですね。

    近所に住んでいながら、慰霊碑の事、全く存じませんでした。
    見に行きたいと思います。

    日赤は近隣住民の誇りでもあります。

    近所の住民より

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    返信
    1. お近くの住民の方々にはヘリの音などでご迷惑をおかけすることも多いと思いますが、このような暖かいコメントは本当にうれしく思います。当院は高度救命救急センターであるため広域での活動を求められるところがありますが、地域の方に支えられてきていることを忘れずに、今迄通り近隣の方々に安心感を与えることのできる病院を目指して頑張っていきます。これからもよろしくお願いいたします。

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