群馬県ドクターヘリ9月度活動実績更新〜服飾デザイナーが医療従事者に転身したわけ〜

Web担当の伊藤です。
10月に入りましたが、お天気が不安定です。
昨日、群馬県ドクターヘリ9月度活動実績を更新しました。



最近、自分が医療業界に入った頃のことをよく思い出します。
中学生や高校生の方も、このブログを見て下さっていることもあり、今回は少し、医療とは全く関係なかった筆者が病院で働くきっかけとなったことについて書かせていただこうと思います。

筆者は、新宿にある文化服装学院出身です。文化服装学院は世界的なデザイナーを生み出していることで有名な学校です。代表的なデザイナーに高田賢三さんや、コシノジュンコさんなどが名を連ねます。
筆者の同窓生にも、パリコレクションに進出し、今や世界的に有名になった方がいらっしゃいます。
そんな、医療業界とは畑が全く違う華やかな世界が、人生のスタート地点となりました。
そして筆者も卒業後は、服飾デザイナーとして都内の企業で働いていましたが、入社して数ヶ月で「思っていたのとはちがう」「こんなはずでは」「自分にはもっと違う可能性があるはず」と毎日が不満だらけ、自分の才能を過信し、やがては自分の進む道に疑問を抱き始め、わずか2年でデザイナー業を断念してしまいました。
そこからバブル時代の勢いもあり、日本の景気の波に乗って、様々な職種にチャレンジ。流浪の旅人のように転々と職を変え、都内の人気スポットを転々と引っ越しし、自由気まま、気の向くまま、好き勝手に生きて、一度しかない人生、そうすることが最善の生き方と信じて疑いませんでした。
そして、バブルがはじけた頃には、職も、お金も、友達も、何も残ってはいませんでした。

そこからが、自分の今までやってきたことの代償を払う時期となってしまいました。
時代は最初の就職氷河期でした。回りの現役大学生に混じってまともに就活しても、資格もキャリアもなく、面接落とされまくりで、後は販売店のレジや、ティッシュ配りのバイトくらいしかありませんでした。
とにかくずっと立っているか、一日中歩いているかの仕事しかなく、それでも東京から離れたくなくて、販売店でレジ打ちなどして、超貧乏暮らしを続けていました。

転機は、30歳でおこりました。
長時間の立ち仕事のため、膝が悲鳴を上げ始めました。一番酷かったときは、歩くたびに膝がガクガクしてしまい、10分歩くだけで激痛が走りました。
膝をかばって歩くために、腰痛、頚部痛、股関節痛と、ありとあらゆる骨という骨が痛むのです。
そうしてサイコロを振ったように飛び込んだよく知らない総合病院の整形外科で、紹介状も何もない状態なのに、初めて会った医師に、レントゲンを見るなり膝関節の手術を宣告されてしまいました。

ここまでは、以前、ブログでも書いたことがあります。

とにかく、健康が取り柄の筆者にとって、手術も、入院も、病院通いも全てが初めての経験でした。
病院と言えば、祖父が胃癌で手術を受けた時にお見舞いにいったのが最後くらいで
その時の印象もあり、入院病棟は、暗くて、消毒臭くて、辛気くさいイメージしかありませんでした。
しかし、患者として生まれて初めて入った入院病棟は、今までの病棟の印象を覆すものでした。
とにかく、若い看護師さん達が活気ついて動き回っていました。
辛気くさいどころか、みんな生き生きとして、とても輝いていました。
病室に入ると「プライマリーナース」という人が、丁寧な自己紹介の後、これまでの病歴を問診してきました。
何時に何があるか、手術前はどうすればいいか、手術後は何をするかと、説明され、
その対応は自分が今まで生きてきた中で、最もわかりやすく、納得できるものでした。

患者にとって術前は本当に、どうかなりそうなくらい、不安を感じます。

そういった不安感をなくすためにまずは病棟で基礎麻酔を打ちますよ。

と看護師さんは笑顔でおっしゃいました。
なるほど、と納得です。

基礎麻酔を打ったら、ストレッチャーで手術室に行きますよ。
手術室で、手術室の看護師さんに引き渡しますよ。

そう言われ、基礎麻酔でやや朦朧とした意識の中、手術室に到着、説明とおり手術室の看護師さんに引き継がれました。

手術室に入ると、麻酔科の先生が麻酔を打ちますよ。その後手術になりますよ。

今度は手術室の看護師さんにそう言われました。

手術室のまぶしいライトと、マスクで顔が半分以上隠れて見えない麻酔科医のことを今でも覚えています。
麻酔科医から何かをいろいろと話しかけられましたが、今や何を聞かれたかは覚えていません。
最後に執刀医の声がして、意識がなくなりました。

意識が戻ってきたときは、既に閉創している頃でした。
朦朧とする意識の中で、私は、しかし、強く感じていました。

治療とはチームワークにより成り立つのだと。

この入院により、私は、病院というのは、たくさんの職種の人が働いていることを知りました。
まずは受付の人から始まり、お医者さん、レントゲン技師さん、看護師さん、薬剤師さん。
そしてお医者さんも、執刀する先生の他に、麻酔を打つのが専門の医師もいる。
しかし、その一人一人に「資格」があり、彼らは、その「専門家」になるために
こうして毎日たくさんの患者に接し、経験を積んでいる。

そして、また、彼らも一人だけでは仕事ができない。
医師も、一人だけでは仕事にならない。
様々な資格、様々な経験を積んだ人たちが、「チームワーク」という輪の中で連携して自分の仕事を完成させる。
そういった仕事の形が、フリーターだった私には「衝撃」だったのです。

彼らと肩を並べて仕事がしたい。
彼らのように、自分の専門の仕事を持ち、経験を積んで、彼らに負けないような医療従事者になりたい。

筆者の長い長い自分探しの旅は31歳の春に幕を閉じ、それと同時に、花を咲かせるための種まきをしたのも、その瞬間でした。

それから15年が経過し、筆者は、今、医療従事者として花を咲かせ、様々な専門職の方々と肩を並べています。

病院にいて、いつも感心するのは、みんな「勉強熱心」というところです。
特に救急科には、様々な研修コースがあり、受講者もさることながら
受講者を教えるインストラクターの方々の熱意にはいつも感心しています。
彼らはきっと陰ながらたくさんの勉強をしているのだろうと感じます。

大切なのは、初心を忘れないことです。そして自分の信念に自信を持つこと。
年齢、経験などを理由に「信念」を曲げないこと。
諦めないこと、挑戦し続けること。

筆者もまだまだ、医療において挑戦したいことがたくさんあります。

異業種から医療界に入ったことを強みに変え、これからも様々な視点で、医療業界を見つめていきたいです。

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