戦後70年の沖縄の地から・・・

町田です。私用で沖縄にいます。

今年は戦後70年です。
みなさんは『ひめゆりの塔』に足を運んだことがあるでしょうか?お恥ずかしながら僕自身は今回が初めてです。

1945年3月、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒及び職員総計240名が、沖縄陸軍病院に看護要員として従軍しました。その後の多くの戦闘で病院は機能を果たせなくなり分散して地下壕に潜みましたが、最も被害を受けた第三外科壕のあった場所にひめゆりの塔がたっています。

ひめゆり学徒動員に関する詳細は成書に譲りますが、まだ学生の若い時代にこのような悲惨な戦争に巻き込まれてしまう心境は正直いまの僕には容易に想像ができませんが、きっと毎日がつらく怖い日々であったと考えると心が本当に苦しくなります。

沖縄戦で多くの命が失われた沖縄南部の海・・・


現代は1名の重症傷病者の診療のために様々な手段、そしてマンパワーを用いて命と全力で立ち向かっていますが、そのような努力をあざ笑うかのように一瞬で多くの命が奪われる戦争を本当に許してはいけません。もちろん外傷診療が戦争により発展してきたという事実もありますが、本来であればこんなに悲しい背景の医療の発展はありません。

8月は6日が広島原爆の日、9日が長崎原爆の日、そして15日に終戦記念日があります。あらためて命の重さについてちょっとの時間だけでも構わないので皆さんで考えましょう。子供、孫、そしてさらに未来の世代のために・・・


『命どう宝』(命こそ一番大切な宝)

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