群馬県ドクターヘリ総実績&年度別実績更新しました。

Web担当の@JUNです。
今年も早いものでもう10月ですね。
今も徒歩で帰宅している私ですが、キンモクセイのかおる道をちょっと汗ばむ程度の早さで歩いています。車で動くよりも徒歩の方が移り行く季節を感じることができますね。
今月も、群馬ドクターヘリ総実績&年度別実績を更新しました。


この他、使用したランデブーポイントにも6枚の新しい写真を掲載しています。
どうぞご覧下さい。







現在、当院救急外来にはトリアージナースが待機しています。
来院した患者さんに対し、事務が対応する前に、
まずはトリアージナースが主訴&問診&バイタルなどで患者さんの状態を判断します。
今年からこの「トリアージナース」導入になったようですが
その姿をみて、私は自分がボランティアをしていた頃の事を思い出しました。

デザイン業・・・。それが私の本業でした。もちろん医療業界にはなんの「コネ」もありませんでした。
そんな私が医療業界に踏み入るきっかけとなったのが「病院ボランティア」。
私の尊敬する主治医が勤務する病院にはボランティアさんがいて、体の不自由な方を外来までお連れしたり
体が不自由でご家族の付き添いがない入院患者さんの荷物を病室までお持ちする仕事をされていました。
その頃、バイト生活で食いつないでいた私でしたので、わりと時間の自由があったこともあり
膝のリハビリも兼ね(前回のお話→http://drheli-gunma.blogspot.com/2011/08/blog-post_06.html)、
主治医に「ボランティアをしていいか」と聞いたところ、「どんどんやっていいよ」と多いに進められました。

こうしてボランティアを始めましたが、日中はずっと病院の正面玄関で看護長さんの脇に待機していました。
患者さんをお手伝いするかどうかは看護長さんの判断が必要です。
まずは看護長さんが患者さんのバイタルを確認し、ボランティアで手が足りそうな方なら
外来まで付き添える許可が出ます。
看護長さんの脇で患者さんとの問診を聴取するのはとても新鮮な驚きでした。
病院の外来にとって、どんな人が緊急で、どんな人がそうでないのか、この時に学んだことは山ほどあります。
そして、ボランティアとは、いろいろな意味で自分で物事を判断し、
自己責任で行う事の意味を問う活動であることに気づき、
気がつけば、病院ボランティアを始めて2年余りも経過していました。

ある日、いつも一緒に玄関に立っている看護長さんから
これまでのボランティアさんの活動を看護部に報告したいので、ボランティアの代表として原稿を書いて欲しい、と依頼されました。
もちろん、喜んで書かせていただきました。

それからしばらく経ち、突然、ボランティア・コーディネーターから
病院の事務部長があなたに話があると言っている、と言われました。
直通の電話番号をお聞きし、事務部長に電話した結果、当院の職員にならないか、と言われました。
『当院で求めているものは「人材」ではなく「人財」です。
言葉で言うとわかりませんが、人財の財は材料の材ではなく、財宝の財を示します。
どうぞ当院での「人財」として大いに力を発揮して下さい』
その素晴らしい言葉に、驚き、戸惑い、なぜそんなことを言われるのか全くわからぬまま、
しかし、とにかく天に舞い上がるほど嬉しくて、即答「イエス」でした。

それが、この医療業界に入ることになったきっかけです。
トントン拍子に話は進み、それから1ヶ月後には私はその病院の制服を着て
人生で最も尊敬する医師の側で仕事ができるようになりました。

職員になって、初めて目を通した「院内週報」に以前私が書いた
ボランティアの活動報告の原稿が掲載されていました。
これを院内週報に掲載する許可を申請したのは、いつも玄関に一緒に立っていたあの看護長さんでした。

全ての患者さんに対し、常に平等で、慈愛の精神で接していたその看護長さんの姿に習うものはたくさんありました。
「博愛と奉仕」
その言葉が、ぴったりと当てはまる素晴らしい看護長さんでした。
職員になりたてで、仕事がうまくいかない私を常に気づかって
「あなたになら出来る」と、励ましの声をかけてくれました。
濁りのない、まっすぐな心で、心底私の事を信頼して下さった方です。
だから私もいつも彼女に答えていたい、と思いました。

しかし、出会って5年、彼女は前触れもなく突然入院しました。
見舞いに行ったときは素人目にもわかる黄疸状態で、
悲しげな表情の彼女から告げられたのは余りにも残酷な現状でした。
末期癌・・・・。

享年51歳。
若すぎる年齢でした。
激務に追われ、取り返しもつかぬほど癌は進行・転移しており、発見時には予後非常に厳しい状態でした。

彼女は死の直前まで、私が仕事を順調にやってるかどうか、心配してメールを下さいました。
最後のメールは、お台場の花火大会の日で、病室から花火が見える、という他愛ない内容でした。
それから間もなく、何度メールしても返事が来なくなりました。

次に会ったときは、病院の霊安室でした。
まるで眠っているようでした。
苦しんだ様子もなく、とても安らかで、すぐに起き上がって私を励ましてくれそうでした。
みんな泣いていました。私も生まれて初めて、職場の人達の前で声を出して泣きました。

今でも、その看護長さんの、患者さんの話を傾聴していた慈愛に満ちた美しい横顔を思い出します。
心の底から看護を愛し、看護に全生涯をかけた方だったと思います。

今の私は、その看護長さんの「博愛精神」をしっかりと受け継いでいるように感じています。
そして「博愛と奉仕」精神で行っている事にも、必ず結果があるということを教えて頂いた気がします。

それからもう10年は経つでしょうか。

当院救急外来で、真剣に患者さんをトリアージする看護師の姿を見て
当院「救急医療」の「神髄」を垣間みるような気がします。
そしてふと、医療業界に入った頃の事を思い出し、長文を書かせていただきました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

コメント

  1. 初心に帰ることができました。また、明日から頑張ろうと思います。

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  2. コイケさん、コメントありがとうございます。その看護長さんは緩和ケアの勉強を終え、ホスピスの看護長として働き始めた矢先に自らが癌に侵されてしまいました。死に場所を自分の病院に選び、看護師の死に様、人間の死に様とはどういったものかを、身をもって部下達に教えていたように感じます。でも、理想を貫く前に自分が病気になってしまっては何にもなりません。たまには息抜きしながら、お仕事頑張って下さいね。

    返信削除

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